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「善と悪」で治めることはできない

Posted December. 18, 2018 09:10,   

Updated December. 18, 2018 09:10

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大昔、とある誠実な王が神殿を訪れて、女神像の前にひざまずいた。彼は女神にこう誓う。「私は未亡人と孤児たちが、男たちの力の犠牲になることをこれ以上容認しません」

この王が即位する前、この国は強力な王家が治めていた。彼らは軍隊を育て、税金を増やした。「収入のあるところに税金がある」という原則が立てられた。税金が増えるほど、税金を取り上げる官吏も増えた。

しばらくして、民は「税金と税吏のいないところなどない」と嘆き始めた。税金の種類が増えるだけでなく、税額も上がった。民は今は「税金を払わなければ死ぬこともできない」と泣き叫んだ。葬儀を行う時も、あらゆる税金と手数料を払わされたからだ。

権力者と官吏たちの富と権力は強まり、彼らは弱い者を軽蔑し、搾取し始めた。耐えかねた人たちが抵抗し始めた。良心的な貴族が権力を批判して、海外に追放された。暴政がさらにひどくなると、民が反乱を起こし、王を追い出した。そして亡命した貴族を呼んで新しい王とした。新しい王は、神殿を訪れて正義を立てると誓った。

新しい王は、未亡人と孤児だけでなく、社会のすべてのところに正義を立てることを望んだ。彼の方法は、不正と不条理を作ったすべてのものを除去することだった。彼は基本的な税金だけを残し、すべての税金を撤廃した。「これで、この地のどこにも税金もなく、官吏もない」と彼は誇らしげに言った。残した税金も5分の1に大幅に減らした。

王国全体に正義が再び川のように流れ始めた。その代わり、軍隊も減り国も弱まった。10年後、隣の王国が攻めてきて、王国を完全に破壊し、都市を廃墟にしてしまった。生き残った人は未亡人や孤児になったり、奴隷になったことだろう。

この物語は、寓話ではない。4500年前の人類最初の文明というシュメールのラガシュという都市で起きた実話である。この事件で、人類は世界が単純ではなく、善悪の二分法では社会を維持できないという事実を初めて学んだ。最近、韓国社会を見れば、4500年前の教訓すら行方不明になったような気がする。

歴史学者


李沅柱 takeoff@donga.com