「夜が深かった。真夜中。星空の星は滝のようにあふれ、空をいっぱい詰めました」-アルフォンス・ドーデの「星」
ふと浮かんだ文章だった。同時に書斎のどこかでほこりをかぶっているはずの古い本が浮かび上がった。かつて無理やり読んだ記憶がよみがえったが、珍しくも文句だけは完全に頭の中に住み着いて、目の前に浮かんだ。ふと浮かんだ言葉に、子供の頃見上げていた星の群れを思い出し、愛という感情に同感できると思うと、必ずしも悪い人生を生きてきたわけではないんだなあと安堵すらした。多くの本の中で、なぜあえて星だったのだろうか。理由はなかなか浮かばなかった。ただ、子供の頃、車窓から入ってきた日差しの下で、無理やり本のページをめくっていた子供の頃が懐かしかったからではないだろうか。
少年はすでに、成し遂げたこともないのに四十を迎えることになった。暖かかった日常は暖かすら実感できないほど忙しくなったし、冒険を探していた少年は、生きていくことが冒険になった。首をそらしてからようやく見えていた壁の先端は、いまは腰の下に止まっているが、心は一寸も成長しておらず、一日を無事に過ごすことが夢のみすぼらしい人間になってしまった。毎日が危機である世の中で、ふと羊を飼う純粋な羊飼いの話が思い浮かぶのも無理ではないだろう。
世間ではいつも危機だと言っていた。勝利した人も、失敗した人も一様に、世界は危機だと語った。息つく暇さえなく続く危機の中で、個人は「情熱」と「努力」を尽くすことが当然といわれる。生き残ることが奇跡になった日常で、羊を飼いながら星を数える羊飼いの幸運を思い出してみてはどうだろう。
星は見えないが、その場にある。そしてひょっとすれば、文の最後のように、いつか「最も美しく輝いていたお星様一つが道に迷って肩にもたれる」ことがあるかもしれない。生き残ることが奇跡になった世の中で、皆に日常の奇跡が訪れてくることを。その奇跡を待ちながら一歩一歩進んでいくことを。