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「フレディ・マーキュリーだけを聞いて30歳でオペラの勉強を始めた」 アルゼンチンのテノール歌手マルセロ・アルバレスが19日に来韓公演

「フレディ・マーキュリーだけを聞いて30歳でオペラの勉強を始めた」 アルゼンチンのテノール歌手マルセロ・アルバレスが19日に来韓公演

Posted February. 12, 2019 08:05,   

Updated February. 12, 2019 08:05

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テノール歌手マルセロ・アルバレスの声は清涼で爽やかだ。ポンキエッリのオペラ「ラ・ジョコンダ」のアリア「空と海」を聞けば、空と海の青い光が目の前に広がるような気がする。ニューヨークメトロポリタンオペラ劇場とミラノ・スカラ座など、世界のトップオペラの舞台で活動してきた彼が、初の来韓公演を行う。19日午後8時、ソウル芸術の殿堂コンサートホール。今月27日で57歳の誕生日を迎える彼と電子メールでインタビューした。

――デビュー初期はリリコ(叙情的)テノールとして知られていましたが、より力が加わった「リリコスピント」の役割でレパートリーを広げ、さらには「悪い男」役を含むドラマティコ(劇的)テノールのレパートリーをこなしています。領域を広げてこられたのですね。

「私は自分ならではの感情を生かす方法で歌ってきており、大衆が反応を示してくれました。来年はより一層重いヴェルディの『ドン・カルロ』役でデビューします。今後、『ドラマティコ』の象徴のようなヴェルディの『オテロ』のタイトルロールを引き受けたいと思います」

――デビュー前の履歴が興味深いですね。30歳になる前は、オペラをほとんど知らなかったと聞いていますが。

「若い時は家具を作り、フレディ・マーキュリーの歌に嵌っていました。歌がうまいとは思っていましたが、オペラには関心がありませんでした。ところが有名なテノールが故郷のコルドバを訪問すると聞いたので、彼の前で歌を歌い、可能性を認めてもらいました。イタリアの歌は知らなかったので軍歌を歌いましたね」

以来、彼はイタリアの有名テノール・ジュゼッペ・ディ・ステファノの前でオーディションを受け、ディ・ステファノは率先して彼の前途を開くのに尽力した。「『私の若い姿が思い出される。音楽的直観力がある』とおっしゃったのです」。

彼がオペラ劇場を超えて大衆から愛されるようになったのは、2008年にテノール・サルヴァトーレ・リチートラと一緒に手がけたアルバム「Duetto」のヒットが大きな役割を果たした。リチートラはそれから3年後、バイク事故で息を引き取った。

「二人のテノールでやったことなので簡単な作業ではありませんでしたが、一度始めると非常に簡単で幸せに収録が進みました。短いご縁でしたが、リチートラは面白くて善良な人でした」

好きなオペラの役柄として、彼はフランス革命期の熱血詩人を描いたジョルダーノのオペラ「アンドレア・シェニエ」を挙げた。今回のコンサートでは、プッチーニの「トスカ」のうち「星は光りぬ」のように頻繁に演じてきた役割の歌のほか、ザンドナーイの「ロミオとジュリエット」の中で「ジュリエット、それは私」のように多少「重厚に絞りだす」ような劇的な歌も披露する。

「ザンドナーイのアリアは、ロミオが死ぬ前に強烈に内面の痛みを明らかにする歌です。劇的な性格だけを示すよりは、主人公の絶望と叫びをそのまま表現したいと思います」

1990年代以降、世界的に中南米出身テノールのブームが起きた。1960年代生まれのラモン・ヴァルガス、ホセ・クーラは韓国舞台に立ち、1970年代生まれのローランド・ビヤソンとフアンディエゴ・フローレスはまだ来ていない。どのように中南米はこれほど多くの名テノールを輩出してきたのだろうか。

「昨今の世界ではすべてのことが速くなりました。しかし、中南米ではじっくり、ゆっくり仕事を処理する伝統が残っています。そんな点が、良い歌手を生み出したのではないでしょうか」

今回のプログラムではスペインの歌はない。「それでも私の母国語での予期せぬプレゼントがあるでしょう。大衆が大きな楽しみを感じる曲を選んでみます!」

今回の公演は、カマル・カーンが指揮するプライム・フィルハーモニー管弦楽団が伴奏する。ソプラノ・カン・ヘジョンがプッチーニ「ラ・ボエーム」のデュエットなどで一緒に舞台に立つ。7万〜23万ウォン。


ユ・ユンジョン記者 gustav@donga.com