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種の待つこと

Posted February. 18, 2019 07:52,   

Updated February. 18, 2019 07:52

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「ほとんどの種は成長開始前に、少なくとも1年は待つ。チェリーの種は何の問題もなく100年を待つこともある。それぞれの種が正確に何を待っているかは、その種だけが知っている」(Hope Jahren「ラボギャル」)

私には、文を書き始める前にぐずぐずする癖がある。原稿の締め切りを控えて一刻を争う時もそうだ。「ぐずぐずする時間」は、エネルギーが発芽する時間だ。ご飯を炊くときに、蒸らす時間のようなことかと?それよりは浴室で垢をこする前にお湯に身をふやかす時間に近い。心を告白する前に、あちこちに転がしながら、心の周りに筋肉がつくまで固めることに近い。あるいは子犬がくるくる回って、排便する場所を選ぶこととも似ている。

どんなことでも、開始する前に時を待たなければならない。中身が「自ら出たくなるとき」だ。例えば文を書くとき、「書きたい気持ち」が内側からこみ上げてくることを、紙の上に文字が飛び降りる準備を完了するのを待たなければならない。そのときになってこそ、書く人も読む人も心地よい文が生まれる。

植物学者Hope Jahrenの「ラボギャル」を読んで、種が待っていることを話す場面で感心した。闇を子宮にしてうずくまっていた100年の待ち!とあるハスの種は、芽を出すまで「中国の泥炭の湿地で2000年」を待ってきたことが明らかになった。開始するために、2000年が必要な存在もある。彼にとって2000年は、死んだ時間ではなく、「進む時間」だったろう。

種にとって、芽は待った末に生えた奇跡である。どれだけさらに待たなければならないかは、ただその種だけが知っている。「目に見える木が一本あれば、土の中でいつかは自分の素顔をさらすことを熱望しながら待つの木は100本以上息づいている」と書いたHope Jahrenの文で、森の秘密、生命の不可解な秘密を見る。

理由がないように見えても、理由がある。「まだ」という種は、「どうしても」という実を結ぶ。私たちが待つ純情にとどまることができれば!