エルビス・プレスリーが孔子に会ったら
Posted March. 01, 2019 09:40,
Updated March. 01, 2019 09:40
エルビス・プレスリーが孔子に会ったら.
March. 01, 2019 09:40.
by 金影植 spear@donga.com.
過ぎてみるとしなかったために悔いが残ることがある。今は大学生の娘が5才だった1999年末はイ・ジョンヒョンの歌「ワ」が最高のヒット曲だった。小型のアイクを付けた小指を口につけて歌う歌手のダンスを真似して遊ぶ子供を見ることほど楽しいことはなさそうだ。ところが、その場面を動画で残していない。スマートフォンがなかった時代で、高価のビデオカメラを買う勇気もなかった。今も、たまに同じことを言っているけど、弁解に過ぎない。当時、娘がいつまでも踊って歌いながら楽しませてくれると勘違いしていたというのが事実に近い。27日と28日の二日間、ベトナムで開かれた2回目の米朝首脳会談もしばらくすると多くの悔いを残すだろうという強い予感がする。世界の秩序をリードする国のトップであるトランプ米大統領が非核化問題を解決しようと敵国の指導者、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長と再会したことは、いつまでも続く日常ではないからだ。両首脳による今会談では、韓半島問題を巡って過去からの伝統の維持と型破りな慣習の打破という二つの流れが交錯する象徴性が如実に表れた。金正恩氏がベトナムまで、約4500キロを66時間かけて、列車と車で移動したのは祖父金日成(キム・イルソン)主席が首相だった1958年に列車を利用した思い出をくすぐるオールドスタイルだ。金正恩氏が核武装というかつての冷戦時代における手法を使っているのも伝統の影を伺わせる。反面、有力メディアと主流社会からそっぽを向けられているワシントンの異端児トランプ氏は、金正恩氏を友人と呼びながら過去の非核化合意や外交政策を無視する慣習の破壊者としての姿を見せた。ベトナムに来ても「ロシアスキャンダル」捜査や米議会聴聞会でピンチに追い込まれながらもツイッターに書き込みをする姿には違和感を感じる。実務交渉代表メンバーの顔触れを見てもそうだ。北朝鮮の戦略通としてキャリアを積んできたキム・ヒョクチョル氏とは違い、米国のスティーブ・ビガン北朝鮮問題特別代表はフォード自動車副社長出身で伝統的な外交交渉家とは言い難い。そのためか、両首脳の会談は、何というか、エルビスと孔子が向き合うと起こりそうなことに似ていそうな気がする。過去の型を破ったロックンロールの皇帝エルビス・プレスリーと孔子が会って、儒教の論理を確かめながら新しい法道について交渉する際に起こりそうなことがだ。正確に置き換えるのは無理だろうけど、この瞬間だけを待ちわびながら核開発に続いて、対応策に打ち込んできた北朝鮮の指導者と、誰と会っても機先を制して優位に立てると自信する「交渉の達人」が会っている姿は奇妙だ。最初から「間違った出会い」だったのだろうか。2回目の首脳会談は、最初から「最終的かつ完全で検証された非核化(FFVD)」とは程遠かった。トランプ氏が急がないと言った時から成果を期待するのは困難だった。だが、今こそ完璧に近いと言われた過去の数多の合意書も、履行されなかった無用の長物になっていることを思い出すべきかもしれない。1994年の米朝枠組み合意、2005年の9・19共同声明など、当時の立派な合意の数々も信頼の欠乏で無力化されたことを思うと、完璧な合意より重要な何かがあるような気がする。だからこそ、今は古い慣習と伝統とを打ち破るべき時期なのかもしれない。機会の窓が開かれている時間は、いつも短い。金正恩氏も、交渉の枠組みを破りことよりは、既存の合意から逸脱しないで、核廃棄の用意が本気であることを証明するべきだ。韓国政府も金正恩氏の答礼訪問だけにしがみついて、非核化という目標を忘れて関係改善の手段に変質させるような過ちを犯してはならない。そうしてこそ、後日、後悔することもなくなりそうだ。本題に戻って、自分の娘が親のために踊ったり歌ったりしてくれるとは、今では全く期待していない。
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過ぎてみるとしなかったために悔いが残ることがある。
今は大学生の娘が5才だった1999年末はイ・ジョンヒョンの歌「ワ」が最高のヒット曲だった。小型のアイクを付けた小指を口につけて歌う歌手のダンスを真似して遊ぶ子供を見ることほど楽しいことはなさそうだ。ところが、その場面を動画で残していない。スマートフォンがなかった時代で、高価のビデオカメラを買う勇気もなかった。今も、たまに同じことを言っているけど、弁解に過ぎない。当時、娘がいつまでも踊って歌いながら楽しませてくれると勘違いしていたというのが事実に近い。
27日と28日の二日間、ベトナムで開かれた2回目の米朝首脳会談もしばらくすると多くの悔いを残すだろうという強い予感がする。世界の秩序をリードする国のトップであるトランプ米大統領が非核化問題を解決しようと敵国の指導者、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長と再会したことは、いつまでも続く日常ではないからだ。
両首脳による今会談では、韓半島問題を巡って過去からの伝統の維持と型破りな慣習の打破という二つの流れが交錯する象徴性が如実に表れた。
金正恩氏がベトナムまで、約4500キロを66時間かけて、列車と車で移動したのは祖父金日成(キム・イルソン)主席が首相だった1958年に列車を利用した思い出をくすぐるオールドスタイルだ。金正恩氏が核武装というかつての冷戦時代における手法を使っているのも伝統の影を伺わせる。反面、有力メディアと主流社会からそっぽを向けられているワシントンの異端児トランプ氏は、金正恩氏を友人と呼びながら過去の非核化合意や外交政策を無視する慣習の破壊者としての姿を見せた。ベトナムに来ても「ロシアスキャンダル」捜査や米議会聴聞会でピンチに追い込まれながらもツイッターに書き込みをする姿には違和感を感じる。実務交渉代表メンバーの顔触れを見てもそうだ。北朝鮮の戦略通としてキャリアを積んできたキム・ヒョクチョル氏とは違い、米国のスティーブ・ビガン北朝鮮問題特別代表はフォード自動車副社長出身で伝統的な外交交渉家とは言い難い。
そのためか、両首脳の会談は、何というか、エルビスと孔子が向き合うと起こりそうなことに似ていそうな気がする。過去の型を破ったロックンロールの皇帝エルビス・プレスリーと孔子が会って、儒教の論理を確かめながら新しい法道について交渉する際に起こりそうなことがだ。正確に置き換えるのは無理だろうけど、この瞬間だけを待ちわびながら核開発に続いて、対応策に打ち込んできた北朝鮮の指導者と、誰と会っても機先を制して優位に立てると自信する「交渉の達人」が会っている姿は奇妙だ。最初から「間違った出会い」だったのだろうか。
2回目の首脳会談は、最初から「最終的かつ完全で検証された非核化(FFVD)」とは程遠かった。トランプ氏が急がないと言った時から成果を期待するのは困難だった。だが、今こそ完璧に近いと言われた過去の数多の合意書も、履行されなかった無用の長物になっていることを思い出すべきかもしれない。1994年の米朝枠組み合意、2005年の9・19共同声明など、当時の立派な合意の数々も信頼の欠乏で無力化されたことを思うと、完璧な合意より重要な何かがあるような気がする。だからこそ、今は古い慣習と伝統とを打ち破るべき時期なのかもしれない。機会の窓が開かれている時間は、いつも短い。金正恩氏も、交渉の枠組みを破りことよりは、既存の合意から逸脱しないで、核廃棄の用意が本気であることを証明するべきだ。韓国政府も金正恩氏の答礼訪問だけにしがみついて、非核化という目標を忘れて関係改善の手段に変質させるような過ちを犯してはならない。そうしてこそ、後日、後悔することもなくなりそうだ。
本題に戻って、自分の娘が親のために踊ったり歌ったりしてくれるとは、今では全く期待していない。
金影植 spear@donga.com
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