Go to contents

処刑された捕虜

Posted March. 19, 2019 07:49,   

Updated March. 19, 2019 07:49

한국어

文禄・慶長の役の初期のことだ。朝鮮の朝廷は、倭軍に対する情報がなく苦しめられた。明に援軍を要請しながら、倭軍の概略的な兵力も分からなかった。立場をかえて考えてみれば、明が援軍を送ろうとしても倭軍の勢力が分からないので、どれどけ派兵すべきか分からない状況だった。

その時、倭軍の捕虜となったある郷吏が重要な情報を持って脱出した。処世術に長けた郷吏は倭軍に捕らえられた後、一生懸命働いて信用を得た。敵軍ともうまくつきあった郷吏は、兵糧を担当する倭軍から一日に消費するコメの量を聞いた。それを一食分で計算して、倭軍の兵士の数が分かった。

倭軍の将帥は、朝鮮側の使節が訪問した時、郷吏を解放した。戻った郷吏は、朝鮮政府に自分が持ってきた情報を報告した。宣祖は、郷吏からできるだけ多くの情報を得ようとしたが、大臣たちは拒否した。朝鮮の軍法では敵の捕虜になるという概念がなかった。死なずに降伏して捕虜になることは死刑だった。大臣たちははやく郷吏を殺そうとした。宣祖が情報を得た後に殺そうと止めたが無駄だった。郷吏はすぐに処刑されてしまった。

なぜ処刑を急いだのか。国家存亡の危機にもかかわらず、朝廷の大臣たちが、危機感が足りなかったり、国を救う意欲がなかったり、考えが足りなかったわけではない。

残された理由は一つ。郷吏をはやく殺すことが戦争を勝利に導く最善の手段だと考えたのだ。つまり、味方が敵に降伏しないようにし、降伏した者には容赦ないということを証明することが、その程度の(?)情報より重要だと考えたのだ。

強力な敵軍の脅威に屈して投降する者が続出するかも知れないという恐れも理解できる。しかし、そのような判断が、現実よりも理念、信条、価値が優先するという考えから出た行動だったと思うとぞっとする。個人の人生では、現実の利益よりも価値の追求を優先することは非難できず、尊敬もされる。しかし、国家経営は現実だ。国際関係や戦争はさらに熾烈な現実だ。価値と精神だけを掲げていては、責任の負えない苦難に国家と民を追いやることになる。

歴史学者


李恩澤 nabi@donga.com