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キューバの韓国系人社会の再建を夢見たヘロニモ、ドキュメンタリー映画で復活

キューバの韓国系人社会の再建を夢見たヘロニモ、ドキュメンタリー映画で復活

Posted March. 23, 2019 08:41,   

Updated March. 23, 2019 08:41

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「祖国は心に詩を吹き込む心臓の鼓動だ」(ヘロニモ・イム・キムの詩『祖国(homeland)』から)

地球の反対側にあるカリブ海の島国キューバで、歌手ノ・サヨンの流行歌「出会い」を歌う人々がいる。日帝を逃れて祖国を離れ、キューバに流れついた韓国人の子孫だ。約1千人と推算される彼らは、今でも集まって韓国語を学び、愛国歌を歌う。1921年、キューバの地に足を踏み入れて以来、韓国系社会が命脈をつなぐことができたのには、一人の隠れた英雄の努力があった。故ヘロニモ・イム・キム(Jeronimo Lim Kim・イム・ウンジョ)さんだ。

●キューバの韓国系社会の再建のために奔走

1926年にキューバで生まれたヘロニモさんの人生は、まさにキューバの韓国系の歴史だ。ヘロニモさんの父親のイム・チョンテクさんは満2歳の時、05年に未亡人の母親に抱かれてメキシコのエネケン(龍舌蘭)農場に行った。その後、キューバに移住した彼は、現地で臨時政府に独立資金を送り、白凡日誌にも記録されている。死後、97年に建国勲章愛国章を受けた。

韓国系で初めてアバナ大学法学部に入学するほど優れた才能のヘロニモさんは、大学でフィデル・カストロに会う。カストロやチェ・ゲバラなどと共に革命の前面に立った彼は、その後、食糧産業部次官まで務めた。67年には北朝鮮も訪れた。

ヘロニモさんがキューバの韓国系社会のリーダーとなったのは95年、政府の光復(解放)50周年世界韓民族祝典に招待され、初めて韓国の地を踏んでからだ。キューバ内の韓国系社会の再建を決心した彼は、哲学科教授の妹のマルタ・イム・キム(イム・ウンヒ)さんと『キューバの韓国系たち』という本を出す。宣教師を支援して韓国語の学校もつくった。キューバの韓国系が「出会い」や「故郷の春」などの歌を知るようになったのはこの時からだ。

念願はキューバ内の韓国系人会の設立だった。公式の韓国系人会を設立するには韓国系人の存在を立証しなければならないという政府の要請で、ヘロニモさんは車を運転してキューバ全国を回って韓国系に会った。現地の新聞に広告も出した。キューバ移住80周年の2001年にはマナティとエル・ボレロに韓国系移住記念碑を立てた。2つの記念碑は祖国がある西方を向いている。

ヘロニモさんは2006年に80歳でキューバで永眠した。キューバ移住98周年の現在、彼の念願だった韓国系人会の設立はキューバ政府が許可せず、まだ実現していない。

●国内上映を打診する「ヘロニモ」ドキュメンタリー映画

ヘロニモさんは話はまもなく国内でも会えそうだ。在米同胞のチョン・フソク監督(35)のドキュメンタリー映画「ヘロニモ」が今年、国内での上映を目指して最終作業をしている。KOTRAニューヨーク支部で弁護士として働いていたチョンさんが映画の制作に飛び込んだのは、2015年12月、キューバに一人旅をしたのがきっかけとなった。現地ガイドがヘロニモさんの娘、パトリシア・イムさんだった。ヘロニモさんの妻、兄弟に会ったチョンさんは、彼の話を映画にして世の中に伝えることを決心した。

クラウドファンディングで資金を集めたチョンさんは、キューバに4回行くなど、4ヵ国17都市を回って撮影した。キューバの韓国系や宣教師、歴史学者など約70人にインタビューした。康京和(カン・ギョンファ)外交部長官、法輪僧侶らも支援した。

最近、国内の配給会社とのミーティングのために入国したチョンさんは、「ディアスポラ(祖国の外で暮らす人々)に言いたかった。今も800万人の在外同胞が韓半島の外で暮らしている。統一を語る時代にすべての在外同胞を合わせる新しい韓国人の定義を皆が悩んでほしい」と呼びかけた。


姜泓求 windup@donga.com