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恋の応援団長

Posted April. 10, 2019 07:39,   

Updated April. 10, 2019 07:39

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愛する人を失った衝撃と傷を克服することは容易なことではない。作家、井上ひさしの戯曲『父と暮らせば』はその困難に関する話だ。娘と父が話に登場するが、娘は23歳、父は広島に原子爆弾が落ちた時に死んだ。しかし3年前に死んだ父が娘の前に現れる。娘の罪の意識と嘆きが死んだ父を呼び出したのだ。作家の言葉どおり、父は娘の心の中の幻像だ。

父は、娘がトラウマのために雷がなっても原爆を連想してぶるぶる震え、愛する男性がいても罪の意識のために自分の感情に背を向けて生きることが不憫だった。それで応援にきたのだ。作家の言葉のように「恋の応援団長」をかってでて。

父は娘に自分を愛する人を受け入れて幸せに暮らすよう助言するが、娘は首を横に振る。父を見殺しにしたことが申し訳ないのだ。実際には逃げたわけではなかった。娘は被爆して死んでいく父を助けようと死力を尽くした。しかし、娘まで死ぬかもしれないと思って父が説得して去らせたのだ。それでも娘は自分だけ生きようと逃げたと考える。それで恋愛ができない。恥知らずにも自分だけ幸せにはなれないと考えるのだ。父はそんな娘に別れる時、自分の分まで生きてほしいと頼んだことを思い出させる。自分にすまないと思うことがあるなら、それは誰かを愛するのではなく愛さないことだと。

久しぶりに娘の顔に笑みが浮かび、父にありがとうと言ってストーリーが終わることから、娘は父の話に従うようだ。それでも罪の意識や内面の葛藤が完全になくなるわけではないが、娘は父の分まで生き、傷を少しずつ癒していくだろう。ストーリーの中の父が娘にそうであるように、悲劇的な事件によって生き別れ、私たちのそばを離れた人々は自分たちの分まで生きくれと暮らしを応援する応援団長かもしれない。