5月にはとりわけ何々「日」が多い。順番に挙げれば、メイデー、子供の日、両親の日、仏様の誕生日、先生の日だ。その中でも両親の日の適用範囲が最も広い。子供、仏教信者、労働者は全人口より少ないが、親を持つ人は、ちょうどこの国の人口数と一致するからだ。親のいない人などいない。その名を考えると涙が出る。
今回の両親の日を迎え、文化スポーツ観光部は「芸術家の立派な親賞」を制定したが、この賞の表彰に来た長官も、進行を務める司会者も、お祝いする人も皆目が潤んだ。ありがたく祝う場だったので、特に悲しい雰囲気はなかった。ただ自分たちの親を思い出したすべての人は、その考えだけで喉がつまり、鼻先がつんとした。イ・シヨン詩人の詩のように。
「お母さん、ありがとうございます」という言葉は、一言も出ていない詩だ。母を限りなく愛するという言葉も書かれていない。ところが、読み始めるとすぐ分かる。詩人の母親は言葉では表現できないほど詩人を愛したことを。詩人は、その母親の愛を知っているんだ。そのためか、詩人は取り分け母親のための作品を多数発表した。純金でもなく18Kでもなかったが、母は息子が与えた14Kのリングを絶対外さなかった。誇らしい息子の卒業式場からもらったリングだった。直接つけてもらった貴重なものだった。だから母親は王冠をもらっても代えなかっただろう。すべての母親にとって、子供は世界より重く大きいからだ。たとえこの事実をよく忘れてしまうが、5月だけでも必ず記憶したい。
文学評論家