1919年10月27日、ソウル鍾路(チョンロ)団成社で、映画「義理的仇討」が封切られ、始めて興行に成功した。この作品は、演劇公演に映画のシーンの一部を挿入した変形した形式の劇だった。当時、朝鮮の地で朝鮮人の資本と人材が主軸で作られた初の映画だった。100年の歳月が流れ、2019年5月26日未明、フランス・カンヌから飛び込んできた朗報で、大韓民国は揺れた。地方の小さな映画祭に行き、その後のGV(観客との対話)の準備のために夜を明かした筆者は、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)に寄せられる祝賀メッセージの信号音に驚いた。これは多くの人が彼の受賞を期待し、夜を徹して待っていたという証拠だった。
今年は韓国で映画が制作されて100年の年だ。この時に開かれた第72回カンヌ国際映画祭で、奉俊昊(ポン・ジュンホ)監督が新作「寄生虫-Parasite」でパルムドールを受賞した快挙は、韓国映画史に記録される事件だ。韓国映画では初めて、アジア映画では2年連続でパルムドールを受賞したのだ。これまでアジア映画は8回、パルムドールを受賞した。韓国映画はこれまで何度もカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に挑戦してきた。林権澤(イム・グォンテク) 李滄東(イ・チャンドン)、朴贊郁(パク・チャンウク)監督らの作品が世界の映画関係者の注目を浴びてきた。2010年に「ポエトリー アグネスの詩」で脚本賞を受賞した李滄東氏は、昨年話題になった「バーニング」で大きな期待を集めた。しかし、この作品は受賞を逃し、韓国映画は10年近く本賞から遠ざかった。奉氏の快挙は、韓国の映画産業の持続的な成長にもかかわらず、何となく感じられた物足りなさを解決してくれた国際映画界の「勲章」だった。
1994年の韓国映画アカデミー卒業作品「支離滅裂」が奉氏の初の演出作だ。この短編映画のタイトルの支離滅裂は、ばらばらで筋道が立たない状況を意味し、社会の権威階層に対する露骨な批判と嘲弄をコミカルに盛り込んでいる。12歳の時に映画監督になることを夢見て思春期を送った奉氏は、金綺泳(キム・ギヨン)監督やアルフレッド・ヒッチコック、今村昌平監督など世界的な巨匠の作品を好んで鑑賞した。特に、金綺泳監督の「下女」を観た後、映画監督になるという決意を固めたという。
パルムドールを受賞した「寄生虫-Parasite」が、カンヌで最高の評価を受けることができた理由を探すなら、次のことが言える。まず、カンヌ国際映画祭は伝統的に家族を素材にした映画を好む。「寄生虫-Parasite」も2つの家族間の話を扱った。次に、カンヌをはじめ世界の映画関係者が注目する「監督奉俊昊」の作品という点だ。最後に、奉氏が作品で表現した新自由主義に対するブラックコメディ的な痛烈な批判精神だ。これまでの奉氏の作品に一貫して表現されている持つ者に対する批判精神は、錆びつくどころかより鋭く痛烈さを増している。
韓国映画100年という記念の年に、奉氏の「寄生虫-Parasite」が最高の映画祭で最高の賞を受賞し、世界の注目を浴びた。今回の受賞を機に韓国映画が再び花開くことを期待する。映画だけでなく、韓国文化全般に奉氏の影響が及び、第2、第3の奉俊昊が出現することを願う。
金甲植 dunanworld@donga.com