朝鮮王朝英祖(ヨンジョ)の時、朝廷ではレンガを巡る論争を繰り広げられた。肅宗(スクジョン)時代から首都防衛のために江華島(カンファド)を要塞化する事業が進められたが、新築の城壁を伝統的な建築材料である石材ではなくレンガが築くべきだという意見が示されたのだ。今も中国ではレンガは建築材として広く使われている。しかし、我が国は土質からレンガの製作が困難だった。当時、朝鮮が知る世界最高の先進国は中国だったため、江華島要塞化事業に中国の先進の建築技法を取り入れるべきだという趣旨だった。
論戦の末、実験してみることにした。石とレンガで作った城壁に大砲を撃って強度をテストした。結果は意外だった。伝統方式で築いた石造の城壁がより丈夫だった。そのはずがないと考えた朝廷は、中国に技術者を送り、レンガの製造方法を学ばせた。やっぱり中国のレンガ造りは違った。新しい製造法でレンガを作って再びテストを行った。驚くことに、結果は今度も石造の勝ちだった。我が国の土地には珍しくない花崗岩は、すべての石材の中で最高の強度を誇る石だ。反面、満州だけでも殆どが石灰岩を石材に使っているが、強度では花崗岩の相手にならない。だから中国は石灰岩をレンガに替えたわけで、我が国がレンガに替える必要はなかったのだ。
分厚く石材を切断して積み上げた江華島の城壁は、19世紀末に西洋の新式大砲にも十分耐えられるほど丈夫だった。しかし、辛未洋擾が起こり、広城堡(クァンソボ)は朝鮮軍の勇敢な抗戦にも、米国の海兵隊にあっけなく陥落された。原因は色々あるが、一つだけを挙げるなら、広城堡は空を背景に佇んでいた。当時、朝鮮軍の火縄(ファスン)鉄砲は50メートルが射程だった。だから、こういう立地でも守備軍に有利だった。しかし、西洋の軍隊はすでに銃身内部を鉄板で旋条し、射程が200メートルを超えるライフルを使っていた。空を背にして体を露出している朝鮮軍のシルエットは、それ自体で立派な標的になった。江華島要塞は強度は十分だったが、新兵器と新兵器で練られた戦術とが合わなかったのだ。私たちの基準で世界を見るのは、19世紀にはすでに愚かな行為だった。