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ロゴセラピー、意味治療

Posted July. 03, 2019 08:53,   

Updated July. 03, 2019 08:53

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数日後にガス室で死を迎えることになる死刑囚のために、いくつか話してほしいという要請を受けた精神医学者がいた。刑務所長の依頼で、囚人たちを対象に講演を行った直後だった。彼は喜んで要求に応じた。

彼は、自分もアウシュビッツ収容所でガス室の影の中に生きたとし、その後の経験を死刑囚に話した。いつ死ぬか分からない実存的状況でも、人生の意味で満たされていたという考えを決して捨てたことがないと言った。結局、人生は意味があるかないか、どちらかではないか。意味があるなら、いくら短く生きても意味があるべきであり、意味がなければ、数年さらに生きながら何かを延々とやっても、何の意味もないはずだった。「私を信じてください。今までに意味のなかった人生、すなわち無駄だった人生でも、この問題に取り組むことを通じて、最後の瞬間にでも意味が与えられることがあります」。それと共に、彼は自分の考えを補完するためにトルストイの小説「イワン・イリッチの死」をまとめて紹介した。

トルストイの小説は、急に病気にかかって数日内に死ぬとことを知った60代の高齢者に関する物語だ。ストーリーの要は、ひたすら出世と昇進のために生きてきた控訴裁判所の裁判官が、死に直面して自分は人生を無駄にし、自分の人生は何の意味もない生活だったことに気づき、その気づきを通じて、「自分を超え、成長し、最終的には人生が意味で豊かになった」ということだ。精神医学者がこのように話したのは、死を前にした裁判官がそうだったように、死刑囚は遅ればせながら、今でも自分の人生を振り返り、そこから悟りを得たらと思ったからだ。

死刑囚が野蛮な死刑執行によって死ぬ前に、新聞記者と交わしたインタビューを見れば、そのアドバイスを受け入れ、最後の数日を生きたことは確実だった。彼にそのようなアドバイスをした人は、無意味で虚しい人生に絶望し、時には自殺衝動まで感じる現代人のためのロゴセラピー、すなわち意味治療の概念を導入した精神医学者ヴィクトール・フランクルだった。彼が死刑囚に行っていたのは、一種の意味治療だった。