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墨子の非攻

Posted July. 17, 2019 09:05,   

Updated July. 17, 2019 09:05

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辞書は、平和を「戦争や対立のない安らぎ」と定義する。その平和を思惟の中核に置いた哲学者が墨子だった。彼は非攻を主張した。非攻とは、大きな国が小さな国を攻撃してはならないという意味だった。問題は、弱肉強食の時代にそれをどう貫かせるかだった。弱者と弱小国の肩を持つこと、これが彼が提案した解決策の一つだった。

彼は、楚が宋を侵略しようとするという知らせを聞いて、夜も昼も十日間を走って楚に行った。宋は、国土が楚の10分の1にもならない小さな国だった。経済力も軍事力も小さく、弱いという言葉と同義だった。彼らの過ちは何かと問うならば、それは弱小国であるということだった。

楚は、自国で新たに発明した武器である雲梯、すなわち雲に届くほど高いはしごを利用して、宋の城を陥落させるつもりだった。墨子は、侵略戦争は天倫にも、人倫にも反するという自分の言葉に楚王が説得されなかったため、別のカードを取り出した。はしごの武器を無力化する秘策があると明らかにしたのだ。彼は、300人の弟子たちをすでに宋に送って備えているので、いくら侵略しても無駄だと断言した。「私を殺しても、彼らすべてをなくすことはできないでしょう」。楚の王は、最終的に墨子の言葉に、宋を侵略しないことにした。墨子は、他の場合もそのようにして戦争を防いだ。

墨子がそうすることができたのは、二つの美徳のためだった。一つは、自分たちだけでなく、他者までを愛すべきだという兼愛(博愛)の思想が彼に与えた道徳的権威だった。もう一つは、自分の命をかけて、それを実践しようとした勇気だった。「他国も自国のように愛しなさい」。孔子も、孟子も繰り広げることのできなかった絶対的平和ともてなしの思想だった。2400年前の墨子は、まさにこれを持って大国に向かって声を高めた。それなら、はしごとは比べ物にならない強力な武器を持った大国に向かって声を上げる墨子が、まだこの世にいるだろうか。



シン・ムギョン記者 yes@donga.com