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ゴーギャンの嫉妬

Posted August. 01, 2019 09:35,   

Updated August. 01, 2019 09:35

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ライバルがあることは悪くない。フランスの画家ポール・ゴーギャンにもライバルがいた。ヤーコプマイヤール・ザハンというオランダ画家の友人だった。絵の実力では全くライバルにはなれなかったが、ゴーギャンは、彼に対する敗北感を一生抱えて生きただけでなく、彼の肖像を野蛮人の姿で描いていた。なぜだろうか?

1891年、原始の純粋美を求めて南太平洋のタヒチ島に向け離れたゴーギャンは、1901年タヒチよりさらに孤島であるヒバオア島に移住して、晩年の傑作を残した。ゴーギャンが死ぬ1年前に描いたこの謎のような絵の中にも、ヤーコプの姿が登場する。画面の中央の女性は、トホタウアという先住民の女性で、ゴーギャンは彼女をアニミズム(無生物にも魂があると信じること)の化身として描いた。その後には先住民の青年が仏の姿で座っており、その左の男がほかならぬヤーコプだ。ゴーギャンは、友達を赤い髪に先のとがったあごに手を当てて、どん欲な目つきで前を見つめるユダヤ人のキリスト教徒として描写した。アニミズムをすべての宗教の起源と見ていた当時流行した思想を反映したものでもあるが、友人を貪欲で狡猾な姿で描いたのには理由があった。

タヒチに来る前、ゴーギャンはヤーコプと一緒にフランスの海辺の町ルプルディの旅館に、共同作業室を設けた。ヤーコプは絶対ゴーギャンの芸術的競争相手にはなれなかったが、恋愛においては一枚上だった。二人とも旅館の主人であるマリー・アンリが好きだったが、彼女の選択はヤーコプだった。ゴーギャンはある程度芸術的成果は収めたものの、貧しく、ヤーコプはオランダの裕福なユダヤ人実業家家門の出身だったからだ。マリーがヤーコプの子を妊娠したことで、ヤーコプは故郷に、ゴーギャンはタヒチ島に去った後、二人は二度と会わなかった。ヤーコプが死んでから7年後に描いた絵なのに、ゴーギャンは依然として彼を狡猾でどん欲な野蛮人の姿で描写した。芸術のライバルは、懐かしさの対象だが、恋のライバルは死ぬまでも許せなかったのかもしれない。


キム・ソンギョン記者 tjdrud0306@donga.com