1940年5月15日午前7時30分頃。英首相チャーチルは、フランスの首相レノーからの電話を受けた。「私たちは敗れてしまった。戦闘で負けた」。戦闘で負けたが、戦争は終わっていなかった。フランスもあきらめなかった。彼らは英国に支援を要請した。中でも切に要請したのが戦闘機だった。戦車を盾にしたドイツの電撃戦にフランス戦線が崩れたので、地上を這って動く戦車を空から鷲が捕まえる光景を想像したのだろう。
英国はすでにフランスに474機の戦闘機を派遣し、追加の派遣がどれほどおぞましい結果をもたらすか議論していた。しかし、政治家だったチャーチルは、内閣が決定した4個大隊に6個大隊を加え、10個大隊の追加派遣を決める。回顧録でチャーチルは、苦しい決定であり、いかなる場合でも英国の防衛のためには空軍司令官のダウディングが言った通り25個の戦闘機大隊を本土に残しておかなければならないという原則を守ったと綴った。
しかし、ダウディングが主張した数字は50個大隊だった。ダウディングは50個大隊を確保するまでは4個大隊すら送れないと対抗した。ダウディングはこの論争では敗北したが、続けて起こったドイツ空軍との航空戦では勝利した。この勝利は、全面的に自身の専門分野に対してはいかなる政治的圧力にも屈せず、上官に逆らうダウディングの頑固(強固or 頑強)な闘争のおかげだった。
それ以前から、その以後も、ダウディングは政治家の圧力や多くの人々の非難、妨害、反対を振り払った。しかし、私たちが尊敬しなければならない事実は、ダウディングを嫌い、彼の頑固な態度に食傷した権力者も、戦争の間、彼の地位を守ったという点だ。「英国の戦闘」の著者、マイケル・コルダはこのように断言する。ドイツの敗北は、ダウディングのような指揮官がいなかったからではなく、そのような人物を容認するリーダーや社会的システムがなかったためだ。