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想像すら禁止された芸術家、馬光洙の真心に会う

想像すら禁止された芸術家、馬光洙の真心に会う

Posted September. 10, 2019 08:35,   

Updated September. 10, 2019 08:35

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「馬教授が生前最もつらかったことは、起きてもいない出来事を想像したという理由だけで断罪を受けたことでした。今からでも彼の芸術世界が正しく評価されることを願います」

馬光洙(マ・グァンス)元延世(ヨンセ)大学国語国文学科教授(1951〜2017)の遺品整理・寄贈を引き受けたパク・ヘジン・ブックレビュー編集長は5日、このように述べた。その日は、馬教授がこの世を去ってから2年になる日だった。同じ日、ソウル西大門区(ソデムング)の延世大学博物館では、展示「馬光洙が描き、書く」が開幕した。故人が残した絵100点のうち、30点余りを披露した。

これに先立って、遺族は7月26日、故人の本1万冊と遺品、絵を博物館に寄贈した。彼が使っていた机、メガネ、肉筆原稿はもとより、最後に吸ったタバコと灰皿も含まれた。

パク編集長は、「生前、馬教授は教壇に立つことを愛していたので、学校に戻って作品世界を知らせることが、彼の精神を追悼する道だと思った」とし、「学術情報院に作られた『馬光洙の個人書庫』は一般人も閲覧できる」と説明した。

馬教授は生前、芸術において文と絵は大きな違いがないとよく話した。本人が芸術における象徴の意味について勉強したので、詩であれ、エッセイであれ、小説であれ、絵であれ、表現の出発点は同じだと考えた。展示された絵の多くは、本に挿絵として掲載された作品だ。

1994年、初個展の図録では、「自由奔放で官能的なイメージを夢見る私の美術家的気質が、文学作品にも反映され、耽美的描写を可能にしたようだ」と打ち明けた。1989年、最初の新聞連載コラムに挿絵を描いた故人は、1992年末に行われた「楽しいサラ」事件をきっかけに、本格的に油絵を描き始めた。

「2ヶ月間拘置所に入れられ、講義まで休むことになり、突然多くの時間を持つようになった。裁判にも気を使わなければならないし、表現の自由があっけなく蹂躙されたことに対する鬱積も和らげながら、一日一日を過ごしたので、文を書く気さえしなかった。そうするうちに、タドギャラリーの代表から招待展の依頼を受けたため、勇気を出して絵筆を握った」

この世を去る1年前、「活字恐怖症」で文を読めなくなった彼は、童話に頼った。裸で遊んでも恥を知らない童心の世界が好きだった故人の絵は、子供向けの本に似ている。しかし、「難しい本は下手な本」「逆さに見た世界は美しい」のような絵からは、鋭い警句の哲学的メッセージが目立つ。

「韓国で有名な文学賞を受賞したという詩や小説ほど、本当に読みづらい。物知りぶった『衒った趣味』のためだ。しかし、読みづらい文は奥深い文ではなく、『下手な文』だ』(少年光洙の発想)

今回の展示では、彼の肉筆原稿も初めて公開する。遺族と知人たちは、「故人が残した文と絵を通じて、尹東柱(ユン・ドンジュ)とシンボルメトリックを研究していた学者であり、芸術家だった馬教授の世界が正しく評価されることを望むだけだ」と伝えた。12月31日まで。


金民 kimmin@donga.com