父は正月が近づくたびに、自分が貯蓄したいくらかのお金を小さな単位の新札に変えて隠しておいた。そして正月になると、息子と娘、甥たちに一枚ずつ配った。しかし、ある正月、彼はお金を配る途中、数枚の紙幣がなくなったことに気づいた。小学校に通う末息子が犯人だった。数日後、父は息子を呼んで、お金を盗んだのかと聞き、息子が否定すると、ひざまずかせた。そしてまた否定すると、頬を殴った。何度も否定していた息子は、複数回殴られた後、ようやくお金を盗んでパンを買って食べたと告白した。すると父は、これ以上殴らず、黙って顔を横にそらした。再び顔を振り向けたとき、父の目には涙が浮かんでいた。
いつかその息子が、子供たちと一緒に他人の家のキュウリを盗んで食べたことがあった。ところが、何人かの子供たちはお金まで盗んだ。主人は子供の家を訪ね歩きまわりながら、キュウリを食べたのはいいから、キュウリを売ったお金だけは返してもらいたいと話した。一年間を食べる食糧のお金だと話した。その主人が帰って行くと、父は息子を犯人と断定して、庭にひざまずかせて追及した。息子はひどく殴られた。ところが今回は悔しかった。彼はあまりにも悔しかったので、夕食も食べず、早く床についた。ところが、夜中に父が彼を目覚めさせて懇願するように尋ねた。「お前は本当に他人のお金を盗んでいないのか?」。彼が首を縦に振ると、父は両手で彼の頬を軽くなでた後、顔をそらした。そしてしばらくしてから外に出て、息子がひざまずいて殴られた庭の隅に置かれた椅子に座って空を見上げた。息子は再び眠りについたが、途中で目覚めてみると、父は夜露に当たりながらそのまま座っていた。
歳月が流れ、父はこの世を去った。ところが、意外にも、父に殴られたことが息子には暖かい慰めになった。彼は父親が懐かしくなるたびに、自分も知らないうちに息子の頭を撫でた。ノーベル文学賞候補に挙げられる中国の小説家閻連科の実際の物語だ。
文学評論家・全北(チョンブク)大学教授
キム・ソンギョン記者 tjdrud0306@donga.com