「雪に覆われた野原を通る時でさえ、道がないからといってむやみに歩くな。今私の歩いている足跡が、後日後ろの人の道になるから」(西山大師)
私には90歳を目前にした老体の小児科医で先輩女医の実母がいる。夫と死別してから長い歳月を一人でやっていくのが、どれほど寂しいかというすまない気持ちをもって安否を尋ねたりする。そんな時は、いつも何か新しいことを学んで覚えているので退屈する暇すらないという言葉が返ってくる。怠け者の娘を決まり悪くする瞬間だ。
高校3年生の頃、母は受験勉強に追われている娘のそばで、筆文字を書きながら夜遅くまで一緒に時間を過ごした。ただ一晩を一緒にいてくれるだけだったが、乱れのないひた向きな母の姿を見ながら、「私も、うまく乗り切れるだろう」という自信が持てた。どんな小言よりも響きが大きいのは、勤勉な親の姿を自ら示すことだ。このような子供教育がどれほど難しいか、それでいて、どれほど真の方法であるかを、私の子を育てながらやっと気づいた。
老母は、娘のために始めた書道で、数年前に国選入選作家になった後、いくつかの大会で受賞までした。誇らしい母の姿を通じて、怠け者で依存的な老年ではなく、絶えない好奇心で新しい学びを探して自立的に営む健康な生活がどれだけ素敵なものかを、改めて学んでいる。
上の記したのは、母が最近練習している西山(ソサン)大師の文言だ。禅僧でありながら、国が存亡の危機に直面すると、僧兵の頭として動き出した西山大師のまっすぐな精神を垣間見ることができる。常に率先する姿で他人に範を示す正しい人生の価値を教えてくれた母。今秋は眩しくて美しい紅葉の道に私が率先して案内したい。