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ラグビーのワールドカップ

Posted November. 06, 2019 08:37,   

Updated November. 06, 2019 08:37

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韓国ではあまり注目されなかったが、世界が注目するラグビーワールドカップが、この数週間、日本で行われた。2日行われた決勝戦では、南アフリカが予想に反して英国に勝った。南アフリカは、1995年、2007年、2019年に優勝し、不思議なことに12年ごとに優勝した国となった。偶然なのか、それとも疲れ切っ人種差別の悪夢を振り払ったことに対する天の祝福だろうか。優勝には運もついた。

南アフリカ代表チームのキャプテンであるコリシは優勝直後、国民を団結させることが選手団の目標だったと語った。実際南アフリカの国民は今回のワールドカップを通じて黒人、白人を問わず、一つになった。黒人初のラグビー代表チームのキャプテンとなったコリシが、仲間と一緒に成し遂げた成果だった。それでも彼は限りなく謙虚だった。

かつてなら黒人がキャプテンを務めることは想像もできないことだった。南アフリカで、ラグビーは白人のスポーツだった。だから黒人はラグビーを人種差別と同一視して離れていた。ネルソン・マンデラが1994年大統領になったとき、黒人から「スプリングボックス(羚羊)」というラグビー代表チームの名称を変えるように圧力を受けたのはそのためだった。しかし、彼はスプリングボックスという名前をそのままにして、白人が大多数を占めるラグビーチームを惜しみなく支援した。過去はとにかく、ラグビーが好きで応援する白人たちも、自分が抱えなけなければならない国民だった。ボクシングと陸上をはじめ、スポーツがあまねく好きだったマンデラは、スポーツを勝敗ではなく、和合の手段とした。彼は、自分自身を27年間も刑務所に閉じ込めておいた白人集団をそのように許した。

白人監督ラシー・エラスマスが、黒人のコリシにキャプテンを任せたのも、マンデラ大統領が見せたハーモニーの先例に従ったのだ。白人監督に黒人キャプテンで構成された代表チームは、ワールドカップ優勝を通じて人種差別の傷を象徴的に癒し、高い失業率と犯罪、対立と反目に悩まされている5700万人の南アフリカ国民を一つにまとめることに成功した。スポーツが持つ驚くべき治癒力だ。



キム・ソンギョン記者 tjdrud0306@donga.com