「兵士の乱」が起きた年はとりわけ寒かった。寒さは夜戦で生活する清の兵士を苦しめたけど、戦術的に見ると清軍にとって最大の好機だった。鴨緑江(アプロクカン)、清川江(チョンチョンガン)などは主要な防御線だったが、寒さで凍っていた川を清の騎兵は簡単に渡河した。予想より早く押し寄せた清軍のため、朝鮮の防御戦略はガタガタに揺れた。清軍の先発隊が電撃的前進を行い、ソウルから江華に向かう道を閉ざしたので仁祖(インジョ)と朝廷大臣は南韓(ナムハン)山城に逃げるしかなかった。
清軍は水戦に弱かった。朝鮮の思惑は江華で海上と水路を利用して全国の軍隊の舵を取り、体系的に防御戦を行うことだった。しかし、南韓山城に孤立してしまったら連絡兵を利用した若干の通信は可能でも体系的な防御戦は無理だった。しかも全国の近衛軍の目標は南韓山城を救うことになってしまい、清軍に行軍路を勘付かれてしまった。そもそも機動力と実戦経験の豊かな清軍だ。ときには朝鮮軍の奮闘により勝利を収めた戦闘もあるが、勝利とはいえ全滅を免れたくらいなので南韓山城に入る通路を確保することはできなかった。
南韓山城ではとんでもないことが起きた。山城に孤立した官僚たちはそれぞれ城を守るための妙案を出した。その一つがカカシを作って城壁に立たせ、兵士たちを休ませるというものだ。文官の提案だったが武官は動かなかった。憤慨した文官は直接城壁に登り、指揮官を詰ったり、仁祖に訴えた。結局、仁祖も乗り出して武将を呼んだ。「どうしてカカシを作らんのだ?」武将は答えた。「カカシを作ったとしても無駄です。軍服を着せて武器も持たせないといけません。しかし、兵士が着る服もないのに何を着せたら良いのでしょう」。
近頃は専門家受難の時代だ。専門家を疎かに扱う社会は平等と常識が通じる社会でなく、無知が支配する社会だ。真実な専門家を起用し、専門領域を守ってあげる社会こそ、最大多数の最大幸福を追求する最善の方法ではないだろうか。
キム・ソンギョン記者 tjdrud0306@donga.com