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月面着陸を計算した「人間コンピュータ」キャサリン・ジョンソン氏が死去

月面着陸を計算した「人間コンピュータ」キャサリン・ジョンソン氏が死去

Posted February. 26, 2020 08:14,   

Updated February. 26, 2020 08:14

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映画「ドリーム」のモデルとなったキャサリン・ジョンソン氏が24日午前(現地時間)、101歳で死去した。ドリームは、人種差別が激しかった1950年代に、アフリカ系アメリカ人の女性数学者たちが差別を乗り越えて、米航空宇宙局(NASA)入りに成功し、米国初の有人宇宙飛行と有人月面探査のミッションを成功に導いた実話を扱った2016年の映画だ。

ジェームズ・ブライデンスタインNASA長官は24日、NASAのホームページを通じて、氏の訃報を発表しながら、「NASAの初期発展を成し遂げたリーダーを失うことになった」と哀悼した。ブライデンスタイン長官は、「ジョンソン氏は米国の宇宙活動領域を広げただけでなく、女性と有色人種が宇宙開発に参加できるようにドアを開けた」とし、「NASAは、彼女の先駆的業績を永遠に記憶するだろう」と語った。

1918年、米ウェストバージニア州で生まれたジョンソン氏は、18歳にウェストバージニア州立大学数学科を最高単位で卒業後、公立学校でアフリカ系生徒を教える教師になった。21歳の時にウェストバージニア大学数学科の大学院に、アフリカ系アメリカ人としては初めて進学したが、結婚と共に大学院を辞めて、3人の子供を育てる主婦として生きなければならなかった。

長いキャリアの断絶後、1952年に人生が変わった。NASAの前身である米国立航空諮問委員会(NACA)でアフリカ系アメリカ人女性からなる専門計算係のチームを立ち上げるというニュースを聞き、その翌年にNACAラングレー研究センターに入社した。当時は性能の良い電子コンピュータがなかった時期で、NASAでさえ複雑な航空宇宙計算を人間の計算係(コンピュータ)に依存していた。主に安価な人件費を払って雇える女性数学者が引き受けた。ジョンソンは、最初のアフリカ系アメリカ人コンピュータの一人だった。

初期に航空分析を引き受けた彼女は、1958年にNASAが発足すると、宇宙開発ミッションに投入された。1961年、宇宙飛行士アラン・シェパードの米国初の有人宇宙弾道飛行と1962年のジョン・グレンの米国初の有人宇宙軌道飛行、1969年のアポロ11号の人類初の有人月面探査などの計算が彼女の手によって行われた。特にグレンが、NASAが新たに導入した電子式コンピュータの計算を信じず、ジョンソン氏に手で再試算するよう頼んだエピソードが有名である。

ジョンソン氏は1986年に引退後も、スペースシャトルなどの任務に着実に参加した。陰に隠れていた彼女の業績は、2015年、オバマ前米大統領が彼女に米国最高の市民賞である大統領自由勲章を授与し、劇的な人生が映画化され、初めて広く知られるようになった。


ユン・シンヨン東亜サイエンス記者 ashilla@donga.com