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「湖畔の一つの小屋が風景の一部になることができる」

「湖畔の一つの小屋が風景の一部になることができる」

Posted April. 15, 2020 08:04,   

Updated April. 15, 2020 08:04

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講演や対談での話を機械的に書き取って本にしたものは多い。同様の形式の本が持つ効用を同じであると疑わせる元凶だ。9年前、スイス連邦工科大学チューリッヒ校の建築学科での講演、討論、インタビューの記録をまとめた新刊『建築ダイアローグ』(ミジン社)はどうか。結論から言うと、今建築を勉強していたり、これから建築の仕事をすると決心した若者にすばらしいプレゼントになる本だ。

同学科のマルク・アンジェリ学科長は序文で、「建築分野で思考の方向は建築界の内部の対話を通じて確立される。同書は、(建築家が持つ)スタイルではなく、彼らの思考と行動の間の潜在的な関係を重点的に扱う」と明らかにした。著者として参加した9人の建築コラムニストは、このガイドラインに忠実に従った。

今年88歳のルイージ・スノッツィから46歳のジモン・ハートマンまで幅広い年齢層のスイス建築家30チームが簡潔な質問に対する率直で淡泊な返答を一冊に収めた。各自がこれまでの千差万別の時空間の経験を基に思考の構造物のように綴られた文章で、ページをめくる手が止まる。

「若かった頃は、他人とは違う何かを作りたかった。独創的なスタイルが市場に簡単に印象を残すことはどの分野でも同じだ。しかし、1つのことにこだわると飽きられる。自分のスタイルにこだわり、後にそれがまるで取れないこぶのようだと苦しむ建築家が少なくない」(ジャック・ヘルツォーク)

704ページの厚い本だが、しゃれた写真に割かれたページはない。「建築は形式に対する問題ではなく、考えに対する問題であり、形式は建築の結果にすぎず、条件や出発点ではない」というフランチェスコ・プッチの言葉を本の構成を通じて伝えようとしているようだ。だからといって、20世紀末に流行した学者ぶった談論集でもない。「一つの小屋が周辺の湖と本質的な変化をやりとりし、その風景の一部になれると考えるなら、その人はすでに建築的に思考している状態だ」というマリオ・ボッタの目線から大きく外れない。

「広場の改築設計案を要請しておいて、設計費を当然のように支払わない市政府」に対する幻滅(スノッツィ)、「虚飾と自分陶酔的な演出の流行、おしゃべりで身勝手な短い考えの対話で覆われた世の中」に対する抵抗(ブッチ)の吐露は、同様の苦悩を抱えて奮闘する建築家に小さな慰めの連帯感を与えるかもしれない。


孫宅均 sohn@donga.com