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挑戦のアイコン

Posted April. 16, 2020 07:49,   

Updated April. 16, 2020 07:49

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勝負の世界は冷酷である。特にスポーツ競技では、勝者だけが富と名誉を独り占めする。今ではその人気が下火になったが、ボクシングは、1980年代までは世界の人々が熱狂するスポーツだった。ジャブ、フック、ノックダウンのようなボクシング用語は、日常でもよく使われる。運動選手出身の米画家・ジョージ・ベローズは、世紀のボクシング対決シーンを生々しく絵に残した。

1923年9月14日、歴史的な世界ヘビー級チャンピオン戦がニューヨークで開かれた。米国のボクシングスター・ジャック・デンプシーの5回目のチャンピオン防衛戦だった。アルゼンチンから来た挑戦者のルイス・アンヘル・フィルポも、世界トップ選手の一人で、中南米出身の初の世界チャンピオンへの挑戦だったので大きな注目を浴びた。対決を見るために集まった8万6000人の観客がスタンドを埋め尽くした。試合が始まると、デンプシーはわずか1分30秒で、フィルポをなんと七回も倒した。当時は、三回ノックダウンで試合が終わるルールがなかったので可能なことだった。しかし、わずか30秒後に反転が起こった。デンプシーは、挑戦者が放ったフックに顎を強く打たれて、リングの外に体が完全に飛び出したしまった。この時、後頭部がタイプライターにぶつかってひどい傷を負ったが、観客は彼を再びリングの中に押し込んだ。劇的な第1ラウンドが終わって第2ラウンドが始まると、デンプシーの反撃が始まった。二回連続でフィルポをノックダウンさせた後、わずか57秒で完勝を収めた。

最後の勝者はデンプシーだったが、絵は、フィルポがチャンピオンをリングの外に倒す劇的な刹那を描いている。七回倒れても再び立ち上がったフィルポの挑戦に拍手と応援を送りたかったのか、画家は絵の一番左に自分を観客として描きいれた。たとえチャンピオンにはなれなくても、フィルポは挑戦のアイコンになった。中南米全域で彼の名を取った通りや学校、サッカーチームができた。歴史は勝者だけを覚えるが、画家は敗者の最も輝いた歴史を私たちに永遠に刻印させる。多分これは多くの敗者たちの応援と慰めかもしれない。

美術評論家


キム・ソンギョン記者 tjdrud0306@donga.com