Go to contents

最初の創作歌謡「落花流水」から「IDOL」までの190曲の歌詞を展示

最初の創作歌謡「落花流水」から「IDOL」までの190曲の歌詞を展示

Posted May. 15, 2020 08:38,   

Updated May. 15, 2020 08:47

한국어

「江南の月が明るくて、あなたが遊んでいたところ/雲の中に彼の顔が隠されてる/忘れな草の咲いた丘の上に寂しく立って/水にㅼㅡㄴ(浮いた)この真夜中を一人で過ごす」

無声映画「落花流水」(1927年)の同名テーマ曲だ。韓国初の創作大衆歌謡として知られている。無声映画の弁士だった金曙汀(キム・ソジョン、1898〜1936)が曲と歌詞を書いたが、大きな人気を集めて、1929年にアルバムが正式に発売された。当時は、歌詞を「歌謡詩」「歌詩」とも呼んだほど、詩はほかならぬ歌詞であり、歌詞は詩になった。「水にㅼㅡㄴ(浮いた)」、「ㅺㅐ울 ㅼㅐㅺㅏ지(覚ますときまで)」のように、現代では使わない表記方式が使われたことも知ることができる。

国立ハングル博物館(ソウル龍山区)は、企画特別展「歌詞-メロディーに人生を載せる」を15日から10月18日まで開催する。大衆歌謡の歌詞を本格的に扱った展示だ。「落花流水」から防弾少年団(BTS)の「IDOL」までの大衆歌謡190曲あまりの歌詞と一緒に、様々なアルバムと歌詞紙、歌詞本、蓄音機など222点を披露する。

「彌阿里(ミアリ)の涙の峠、あなたが超えていた別れの峠/火薬の煙が目の前を遮って目を開くことすらできなかった時…」

半夜月(パン・ヤウォル)作詞の「断腸の彌阿里峠」(1957年推定)である。ハングル博物館によると、1950年代には、戦争と分断の痛みを慰めるこのような曲と「米8軍ショー」などを通じて入ってきた「二リリマンボ」(1957年)のような歌詞が愛された。「シューシャインボーイ」(1954年)の「ハローシューシャイン靴を磨きましょう」という軽快な歌詞の裏には、職業戦線に飛び込んだ戦争孤児たちの痛みが隠れている。1960、70年代は、都市の派手な成長と理想を表現した「あなたと一緒に」(1972年)や急激な産業化の過程からくる疎外感や鄕愁を表現した「故郷駅」(1972年)などが流行した。このように、歌詞の変化と時期別の特徴を一目で確認できる。


趙鍾燁 jjj@donga.com