困難に直面した隣人を先を争って助けようとする姿はいつ見ても美しい。月とうさぎにからまった話は、その姿を格好良くみせる。
猿、犬、狐、うさぎが、ある老人と出会った。老人は力尽き、お腹をすかせていた。老人が何か食べることが何よりも至急にみえた。動物たちは各自のやり方で老人を助けようとした。猿は山に行って木の実を集め、犬は肉とトカゲを持ってきた。狐は川から魚をとってきた。しかし、うさぎは何も採って来ることができなかった。自分が食べる草を渡すことはできない。うさぎは木の枝を集めて火をつけ、その中に飛び込んだ。自分の身を捧げることにしたのだ。しかし、体に火がつかなかった。火はまるで冷たい目のようだった。不思議に思っていると、老人が言った。「私は天の神だ。お前をテストしに来た」。その言葉を聞いて、神であっても邪魔はできないとうさぎは言った。神は、自分の全てを他人に与えようとするうさぎの心に感心した。王は、うさぎの利他心を世の中に知らしめようと、山を絞ってその汁で月にうさぎの姿を描き入れた。月にうさぎの絵がある理由だ。
これは「般若心経」に出てくる仏の前世の話の一つで、ここで猿、犬、狐は仏の弟子で、うさぎは仏自身だ。山を絞って汁を染料として月にうさぎを描き入れたという発想は荒唐無稽のようにみえるが、にもかかわらずこの話は他者に対する歓待と施しを描いた童話としては遜色がない。この童話は、動物が先を争って空腹な人をもてなそうとする姿を通じて、隣人のための歓待がどれほど尊く、倫理的であるかを物語る。うさぎが描かれた月は、今日も空で世の中を照らす。世の中が明るく美しい理由だ。
文学評論家・全北大教授