江戸時代の思想家で儒学者である荻生組徠(1666~1728)をマキャベリと比較したのは丸山真男(1914~96)だ。日本の「政治学会の天皇」とされた丸山が1952年に出した『日本政治思想史研究』(キム・ソククン訳・トンナム・1995年)でだ。
丸山は同書で、徂徠の次の言葉に注目する。「・・・君タル人ハ、タトヒ道理ニハハヅレ人ニ笑ハルベキ事也共、民ヲ安ンズベキ事ナラバ、イカヤウノ事ニテモ行ント思フ程ニ、心ノハマルヲ真実ノ民ノ父母トハ云ナリ」。丸山によれば、これは「安民といふ政治目的のためには道理にはづれてもいい。これはまぎれもなく儒教道徳の『価値の転換』である」。これはマキャベリの「君主論」を想起させる。「・・・(君主は)しかしまた、悪徳を冒さずしては統治を行ひえない様な場合は誹謗を甘受することに躊躇してはならない」。
すなわち、徂徠は朱子学が個人道徳を政治的決定にまで拡張することを断固として否認したという点でマキャベリと通じるということだ。政治と道徳の分離が近代政治を象徴すると考えると、徂徠はすでに現実政治(Realpolitik)に一歩を踏み出していた。当時、朝鮮は礼訟論争の真っ最中だった。
徂徠が1727年に書いた『政談』は、当時、幕府の将軍徳川吉宗に呈した意見書をまとめた。朱子学の空理空談から脱し、政治、経済、官吏の登用と処遇、社会秩序の4つの主題の事案を倫理ではなく現実に基づいて解いた。
丸山が「日本の近代を胚胎」し「政治を発見」したとして徂徠を絶賛したもとになる事例の一つも載っている。生活に窮乏し、母を伴って流浪の旅にのぼったが、途中で病んだ母をそのまま放置した僧侶「道入」の話だ。処罰をめぐって他の家臣は、「母を放置するつもりはなかった。儒教倫理に反していない」と善処を主張する。しかし徂徠は道入のような事例を作ったその地域の行政官の責任を厳しく問わなければならないと答える。
閔東龍 mindy@donga.com