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忘れてはならない事実

Posted June. 09, 2020 08:07,   

Updated June. 09, 2020 08:07

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「私たちは決してあなたを忘れません」。国防部遺骨発掘鑑識団のスローガンだ。DNA鑑識技術が発達して、遺骨発掘事業が画期的な境地についた。米国は合同戦争捕虜行方不明者確認司令部(JPAC)という部隊があり、ここで専門遺骨発掘、鑑識チームを運営している。彼らは、韓国戦争で行方不明になった米軍を見つけるために、ソウルに常駐事務所まで設置した。韓国も、遺骨発掘事業においては負けていない。世界で二番目に遺骨発掘専門部隊を創設し、今も遺骨発掘事業が進められている。とある兵士で除隊した人がインターネットに掲載した文を読んだことがあるが、自分が軍服務中に遺骨発掘調査に動員されたことが最もやりがいのあった瞬間であり、国と韓国軍を見直すきっかけになったと主張した。

顕忠日(大韓民国の殉国者と戦没将兵を追悼する記念日)になれば、様々な媒体に遺骨発掘と関連した美談が掲載される。そしてこの言葉はいつも胸に響く。「私達は決してあなたを忘れません」。しかし、私たちは忘れている。戦死者に対する悲しみは乾かず、遺骨を探す努力が後を絶たないとしても、それよりもっと本質的な教訓、戦争が残した歴史的教訓は、不思議なくらい速く忘れるので、不快に感じる。

第1次世界大戦が勃発した1914年、兵力が不足すると、英国の国防長官・キッチナーは、志願兵募集を決定する。最初の目的は10万人だったが、瞬く間に60万人が集まった。当時は彼らを「キッチナー部隊」と呼んだ。伝統的に忠誠心と国家意識が強く胸に刻まれている韓国では、このような志願行列は全く不思議ではないように感じられるだろうが、国民国家が誕生してから200年も経っていない欧州では、驚くべき現象だった。戦争が終わると、燃える愛国心は政府と体制への不信に変わった。ロシアでは革命が起きた。第1次世界大戦は、最悪の殺傷劇だった。その原因は、発達した武器システムに対する戦術的準備が全くできていなかったからだ。無謀な戦術と殺戮戦に兵士たちは憤った。戦争がなくても、政府と社会の既得権層が変化に備えなければ、彼らは背を向けられるしかない。