「朝鮮時代は食べ物で体を治めて伝染病に備えました」
19日、慶尚北道栄州市(キョンサンブクド・ヨンジュシ)の伝統郷土料理体験教育館「食治院」で会ったシン・ソンミ院長(55)は、「食治によって新型コロナウイルス感染症のような伝染病に勝つことができる」とした上でこのように述べた。食治とは、食べ物で健康を治めることで、朝鮮時代から引き継がれてきた健康管理法だ。
「朝鮮時代は、食医が王の無病長寿のために努力しました。食医は薬より食べ物で病気を防ぎ、治めました。食べ物で王の免疫力をつけることが重要であり、このような王室の食文化がソンビ層に広がり、再び庶民層にまで影響を与えました」
朝鮮の食治に民間が簡単に接することができた医書が、儒学者であり、栄州濟民樓(チェミンル=朝鮮の地方医局)の医師だった李碩幹(イ・ソクガン)が記した「李碩幹経験方」だ。2009年にアン・サンウ韓国漢方医学研究院・東医宝鑑事業団長がこの本を国訳し、シン院長は国訳本をもとに食治を研究して現代風に再現するのに力を入れている。李碩幹経験方には、115件の病症に関する様々な予防と治療法が網羅されている。シン院長は、このうち食治方を深く掘り下げて、現代的に解釈してレシピを作っている。「李碩幹経験方・上、お粥とご飯を利用した食治方」という本も出した。
食治は予防医学だ。良い食材で作った料理を食べて、免疫力をつけることが重要だ。シン院長は「王室の食医は、先代王が患った病気を研究し、現在の王の体質を見て、食べ物で病気を予防し、足りない部分を補った」と語った。食治は、これまで知られている宮廷料理よりは、さっぱりとして、自然の食べ物で体の気を埋めるべきだと強調する。
同日、現場で記者も、「脳卒中を予防する麻ハトムギ粥が含まれている食治」を体験した。食前酒「東亜薬酒」を皮切りに、お粥、雪下覓炙、真珠麺、ビビムバなど10種類以上の料理を2時間かけて食べたが、胃もたれがなかった。特に雪下覓炙は、良い牛肉を叩いて柔らかくした後、味付けをし、ごま油で和えて焼いて氷水に浸すことを繰り返して作る。その結果、消化が非常によくなる。シン院長は、「食治は免疫力を高めて予防に重点を置いたが、熱が出たら緑豆でおかゆを作って下げたし、眠れない時は、野生ナツメ種のおかゆを処方したりした」と伝えた。
シン院長は1992年、慶尚北道醴泉(キョンサンブクド・イェチョン)出身の夫と結婚したことで、慶北地域の宗家の食べ物に関心を持ち始めた。1999年、栄州に引っ越して、本格的に郷土料理の研究に打ち込み、2002年、ムクゲ料理学院を開いて郷土料理の伝授に乗り出した。昨年栄州市と一緒に、食治を体験する食治院をオープンした。
シン院長は、「栄州ソンビの食治は、1418年に朝鮮で初めて建立された医局『濟民樓』がその始まりだ」と語った。濟民樓は、公立医療機関だった。栄州小白山(ソぺクサン)地域は古くから豊富な薬用植物が自生している。濟民樓は、このような植物を採取して全国に供給した。濟民樓はまた、医生と郷村の性理学者たちが医学的知識を積む空間でもあった。退渓李滉(イ・ファン)も、濟民樓で李碩幹と一緒に勉強したという記録がある。シン院長は、「朝鮮時代は食材の効能を知っている人、つまり王室の御医と食医、ソンビが食治を実践して記録に残した」とし、「李碩幹の『経験方』は、栄州地域の特産物を研究して作った最初の民間医書だ」と語った。
朝鮮第7代王の世祖(セジョ)は、韓国初の食医書である「食療纂要」の序文を書いた。正祖(チョンジョ)は、食治について正しく知っていて、体が良くない時は直接、特定の食べ物を上げるように指示した。英祖(ヨンジョ)は1日に5回も食事をした王の食事法の代わりに、3食しか食べずに長寿した。シン院長は「世宗(セジョン)と文宗(ムンジョン)、世祖の時の医官だった全循義(チョン・スンウィ)は、総合医学書である『医方類聚』の編纂に参加し、『山家要錄』と『食療纂要』のような食医書を残した」と説明した。
シン院長は、「ソンビたちは、最終的に健康に長く生きることを追求した。それが食治であり、人間の根本的な欲求だ。ところが、このような良い美徳が日本の植民地支配と韓国戦争で消えた」と残念がった。さらに彼女は、「私たちの先祖の知恵が込められた食治を振り返って生活化すれば、新型コロナウイルスを超えていかなる伝染病もやすやすと乗り越えられるだろう」と重ねて強調した。
梁鍾久 yjongk@donga.com