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コンパスの針のように

Posted August. 17, 2020 08:51,   

Updated August. 17, 2020 08:51

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「コンパスは、あなたが立っているところから北を指すだろう。しかし、その道で会う沼や砂漠や峡谷は教えてくれない。障害物に注意せず、目的地に向かって走って沼にはまってしまえば、正確な方向を知っていても何の役にも立たないでしょう」(映画「リンカーン」より)

しばしば人生を道に例えたりする。とある流行歌の歌詞のように「花の道」だけを歩くことができれば、誠によいだろうが、人生という道には明らかに沼も、砂漠も、渓谷も存在する。

米国の第16代大統領であるリンカーンの人生にも、数多くの沼や砂漠が存在した。二度の事業失敗と七回も落選を経験し、幼年期は母親を、青年の時は姉と婚約者を、中年には次男と三男を失う痛みを経験した。政治をやっていた時は、エリートたちに無視と嘲笑されたりもした。そのためか、リンカーンはいつもひどいうつ病に悩まされたという。

このように試練に綴られたリンカーンの人生において最大の試練であり挑戦は、南北戦争の終戦と奴隷制の廃止だった。これは、分裂した国の運命を決める問題でもあった。この大きい使命の前で苦悩するリンカーンに、急進改革派の首長・タデウス・スティーブンス議員は強硬な対応を求める。何が正しくて何が正しくないかを知らない国民に理想と目標を提示し、それを押し通すことが指導者のやるべき役割だと主張して…。

上記のセリフは、それに対するリンカーンの回答である。リンカーンは「信念」の価値を理解しながらも、盲目の追求は警戒した。何よりも、信念を達成可能な「現実」に変えるためには、理解と説得の過程が必要だと信じていた。そのためだろうか。映画を通して彼は、自身を警戒することを止めない。終戦と奴隷制廃止という課題を実現するその瞬間まで。

私たちも、19世紀の米国に劣らぬほど分裂した社会を生きている。こんな時こそ、自分のコンパスを確認しなければならない。自分の信念だけを盲目的に主張しているのではないか、私は間違っている可能性はないか、いつも警戒しなければならない。絶えず揺れながら方向を探すコンパスの針のように。