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ささやきが良い理由

Posted August. 24, 2020 08:23,   

Updated August. 24, 2020 08:23

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「ワーグナーは、自分の感情に音を載せたが、ショパンは音一つ一つに感情を載せた」(アンドレ・ジッド「ショパンに関するノート」より)

最初はただ、だしゃれだと思ったが、何度もじっくり考えるほどその意味が新しい。音楽世界では完璧な正反対だった二人を、これよりよく表現できるだろうか。ノーベル文学賞受賞者だったアンドレ・ジッドだから可能な鋭い警句である。

音楽史において、ワーグナーほど問題児とされる人物はいない。彼を知っているすべての人は、彼を崇拝したり、嫌悪する。傲慢と毒舌、贅沢壁、偏見と憎悪、他人の物を自分の物と考える道徳的不感症まで。それこそならずものと言える。それでも彼の音楽を愛する人々はあふれている。

それに比べてショパンは、つまらなく見える男だ。驚くべき実力を備えていたにもかかわらず、あまりにも小心で、大規模な観客の前では演奏さえできなかったし、いくら怒っても悪口どころか大声さえ出せなかった。冬のたびにかかる風邪は、深刻な病気のように患い、自分が書いた曲さえ好きなだけ強く引く力がなかった。作曲も大規模なオペラやオーケストラのための音楽ではなく、ピアノ曲だけに集中し、それさえもそのほとんど小曲だ。

しかし、ピアノの小曲だけで、ショパンは多くの人から尊敬と愛を受ける偉大な作曲家となった。強烈な音は感情を高揚させるのに適しているが、そのため危険でもある。扇動と操作の手段として利用されることが多いからだ。華やかで大きな音は強く見えるが、いざ人を慰め、力を与えるのは静かで繊細な音と言える。

小さな音が大きな音よりも強い力を発揮するのは、音楽だけのことではない。愛する恋人のささやきほど胸を躍らせることがまたあるだろうか。眠っている子供の寝息が与える平安は、またどうだろう。大きいからといって必ずしも良いわけではない。時には小さなものが、より大きな響きを与えたりするから。