日本に国権を奪われた朝鮮は、悲しく孤独で惨めだった。スコットランドの画家エリザベス・キ
スの目に写った姿はそうだった。キースが韓国に来たのは1919年3月28日。3・1運動で韓国人が無慈悲な弾圧を受ける時だった。キースは、韓国人が大極旗を振って平和に万歳を叫んだだけなのに苦痛を受ける姿を見て心を痛めた。露骨な侮辱に対応できない姿にも心を痛めた。日本の警察は韓国人男性の白い服にインクをまいた。ハングルを禁止したのと同じように民族的アイデンティティを抹殺するための幼稚なことだった。画家であるキースは、孤独な韓国人に世の中の温かい目が注がれるように」したかった。
それでも苦難の現場を描くことはできなかった。そうすれば追放されるからだった。韓国人の密偵がどこへ行くにもキースについて回った。キースが1946年に出した「オールドコリア」に収録された絵が語るように、韓国人の服、家、風習、文化の美しさが主要な素材になったのはそのためだった。温かい目で眺めて描くだけだった。これが、彼女ができる全てだった。
ところで「寡婦」というタイトルの絵だけでは例外だった。一見、極めて平凡に見えるが、実は韓国人の苦難を象徴する絵だった。絵の中の女性は、夫と死別した寡婦だった。夫の死はまちがいなく3・1運動と関係があった。女性は監獄で拷問を受け、釈放されたところだった。ところで女性が悲しむのは夫のためだけでなかった。独立運動に加担して日本の警察に捕まり、また会えるか分からない一人息子のためでもあった。女性の表情は衝撃があまりにも大きいためか、意外に平穏に見える。それゆえ悲しさが増す。キースはこの絵で、植民地の心理的現実を捉えた。絵は二重三重の悲しみと苦難にもかかわらず、思う存分泣くことができなかった植民地の人々の心理的な現実を今でも証言する。隠喩的な意味で見れば、国を失った朝鮮人皆が絵の中の悲しい寡婦だった。