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ダーウィンがフジツボを研究した理由は

Posted October. 12, 2020 08:51,   

Updated October. 12, 2020 08:51

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浜の岩があるところであれば、よく目にできるのがフジツボだ。爪ほど小さいのに、接着力だけはあまりにも強く、足で蹴っても落ちない。だから、世界のどこからでも見ることができるが、よくあるものとしては、あまり役立たない。いくつかの食べ物の味を出すことを除いては、のことである。ところが、このフジツボをなんと8年間も研究した人がいる。どれだけ暇だったら、これを8年間も研究するのだろうか?

ところが、この「暇な人間」が意外だ。進化論を出したチャールズ・ダーウィンであるからだ。ダーウィンがフジツボの研究に8年も注ぎ込んだなんて?そうだ。だからダーウィンの伝記作家や科学史の研究者たちは非常に気にしていた。有名な生物学者・スティーヴン・ジェイ・グールドも同じだった。しかも、ダーウィンがフジツボに打ち込んでいた1846〜54年は、出版されるやいなや大きな議論となった「種の起源」の出版時点(1859年)ともあまり離れていない。彼がこの本のコアである自然選択概念を20年間も熟慮したことを勘案すれば、非常に重要な時間に別のことをしたことになる。

あまりにも頭が痛くて、しばらくわき目をしたのだろうか?しかし、わき目をしたものとしては、その結果が尋常ではない。1851年と1854年に出版した2冊の本は、1000ページを上回る。

なぜなのか?科学著述家・デビッド・クアメンは、「野生に生きる」という本の中で、ダーウィンのこのような「不倫」には理由があったという。進化論という驚異的な理論を発表するための事前作業だったのだ。

ご存知のように、当時は神が世界を創造したと信じていたビクトリア朝時代だった。さらに、ダーウィンは、それほど名のある学者ではなかった。今でもそうだが、有名でもない人が常識に反する主張をすればどうだろうか。待っていたかのように拍手するだろうか?それとは逆だ。みんな無視して背を向ける。彼が発表した内容を見るよりも、認知度や出身を見る。ダーウィンもこれを知っていたので、自然選択理論を思い出した後も、20年以上も発表せず、それからアルフレッド・ラッセル・ウォレスが同じ考えを持っているという手紙が届くと、急いで発表した。

社交的なほうではなかったダーウィンは、それなりに「戦略」を練ったようだ。フジツボプロジェクトで学界の信頼を先に得ようとしていたのだ。彼の判断は正しかった。本の出版後、ごく少数ではあったが、彼を認める人が現れ、その後、大きな助けとなった。グールドによると、ダーウィンはフジツボを研究する過程で、明らかな「進化の証拠」を発見したにもかかわらず、こっそり見過ごした。より大きなことのために、下手に公開しなかった。グールドはこれを「ダーウィンの遅れ(darwin's delay)」と表現したが、将来のために耐える忍耐をよく発揮したという意味だ。

ダーウィンも、フジツボを研究した8年がひたすら面白かったはずがない。退屈で面白くなかったかもしれない。しかし、これを乗り越えて、将来のための踏み台を作ったおかげで、大きなことを成し遂げることができた。実はどんなことでも同じだろう。勉強でも技術でも事業でも、退屈で面白くない過程を乗り越えて基盤を作ってこそ、私たちが望むことを達成することができる。