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恐怖に打ち勝った兵士たち

Posted October. 27, 2020 08:35,   

Updated October. 27, 2020 08:35

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シーザーが書いたガリア遠征期に登場する最初の戦闘は、ヘルベティ族との戦いだった。強くてタフなヘルベティ族は、今のスイス山岳地帯に住んでいた部族だった。以前にローマ軍がヘルベティ族に敗れたことがあったので、多くの兵士たちが復讐戦だと思っていたようだ。

シーザーがガリア遠征計画を発表すると、不安と恐怖で将兵らは動揺した。この時、シーザーは兵士たちにこのような言葉を口にする。「君たちの義務感が恐怖を倒すことができるのか見てみたい」

塹壕にいた兵士の前に数十倍の敵が現れたとしたら、味方が後退するのに誰かが振り向いて仲間を援護しなければならならないとしたら、旗を持って行進していた兵士が私の前に倒れたとしたら。軍人なら誰もが一度は義務感と恐怖が出会う瞬間を想像してみるだろう。

ほとんどの兵士は、自分の決定に確信が持てない。いざその瞬間が来たときに、恐怖を克服して義務感を選択する兵士もいれば、義務を捨てて逃げる兵士もいる。一度恐怖に屈した兵士が、次の戦いからは真の戦士に生まれ変わることもある。

戦争が終われば、真の英雄は、義務感で恐怖を乗り越えた兵士だ。そんな兵士が多い軍隊、兵士たちが誇りを持って義務感を回避しない兵士を作り出す軍隊が素晴らしい軍隊だ。だからといって、この義務は不当な命令、盲従の義務を言うのではない。与えられた状況で、仲間と戦いの勝利のために自分に与えられるそのつどの義務と責任をいう。

社会も同じだ。すべての人間には職業が与える義務、家庭が与える義務、共同体の一員として与えられる公正かつ美しい義務がある。そんな義務に忠実で、犠牲になって挑戦する人を励まし、褒美を与える社会が生きがいがある社会だ。

逆に義務が権力欲に敗れ、貪欲に支配され、集団利己主義に押し出される社会であれば、私たちは暗い夜に見舞われざるを得ない。