Go to contents

韓国戦争参戦のピアノ巨匠の「特別なレッスン」

韓国戦争参戦のピアノ巨匠の「特別なレッスン」

Posted November. 10, 2020 08:39,   

Updated November. 10, 2020 08:39

한국어

「世界のあちこちから韓国戦争に参戦して命を落とした兵士たち、また、彼らの家族や友人たちにこの演奏を捧げます。この方々の犠牲がなかったら、韓国が戦争の痛みを乗り越えて、今日のような発展は成し遂げられなかったでしょう。私も兵士だったので、このような機会を持つことを光栄に思います」

バッハのカンタータ「神の時こそいと良き時」のピアノ編曲の演奏が、穏やか画面に流れた。9日午前、京畿道烏山市(キョンギド・オサンシ)の竹美嶺(チュクミリョン)平和公園内のスミス平和館。世界的なピアノ教育家・シーモア・バーンスタイン(93)のオンライン・マスタークラスの現場だった。

烏山市が主催したこのマスタークラスは、バーンスタインのニューヨークの自宅とスミス平和館を中継映像で繋げた中、キム・ギョンソク君(ソウル芸術高校3年)、イ・ウリムさん(烏山元一小学校3年)などのピアニストの卵4人が演奏し、映像でレッスンを受ける形で行われた。ピアニスト・アン・インモが司会を務めた。

バーンスタインは、23歳で米軍に入隊し、1951年4月に戦争中の韓国に派遣された。1年半の間、京畿道の坡州・漣川(パジュ・ヨンチョン)などの最前線で、100回を超える慰問公演を行った。マスタークラス直前に映像で公開されたニューヨーク自宅でのインタビューで、氏は古い日記帳を広げて、「1951年8月26日、『アベマリア』演奏中に地獄が開かれた。曲射砲の弾丸が周りに降り注ぎ、ピアノ演奏は、その背景に波のように鳴った」と振り返った。

彼は1977年に演奏の第一線から退き、ニューヨーク大学教授として在職しながら、「ショパン演奏解釈」など、演奏者の必読書を執筆するなど、ピアノ教育に大きな影響を及ぼしてきた。「恋人までの距離」の主演俳優・イーサン・ホークが演出したドキュメンタリー映画「ピアニスト、シーモアのニューヨークソネット」(2014年)で、87歳でスポットライトを浴びた。

「先生と呼ばないでください。シーモアと呼んでください」と言いながらマスタークラスの扉を開けた氏は、参加者四人の演奏を順番に聞いた後、ピアノタッチの基本的な理解から始まって、強弱や速さ、ペダルを利用したレガート(途切れさせずに滑らかに続けて演奏すること)など、2時間の間によどみなく教え続けた。マスタークラスと献呈演奏を終えた氏は、4人のピアニストの卵たちに最後に、「楽譜にあることをまず知識として知って、感情的に理解した後、最後に体得しなければならない」と助言した。

「90歳を越えると、この世に何を残すかについて考えることが多くなります。周辺に聞いても適当な答えがない。結局、『人生の中で最も重要なことは、何かに寄与すること』であり、私にできる貢献はミュージシャンたちに自信を持たせることだという結論に達しました。」


ユ・ユンジョン記者 gustav@donga.com