ローマのコンスタンティヌス皇帝は、帝国の新しい首都を探した結果、イスタンブールを選んだ。彼は自分の名前にちなんで、この都市をコンスタンティノープルと命名し、今まで見られなかった華やかで美しい都市を建設した。イスタンブールは魅力的な都市だ。東ローマ帝国時代のコンスタンティノープルは、現在の姿とも比較できないほど、驚くほど壮大で幻想的な都市だった。
巨大な宮殿と戦車競技場、都市のあちこちに造成された皇帝たちの広場。コンスタンティヌスは、帝国内の主要都市にある最高の造形物をコンスタンティノープルに献呈させた。アテネのパルテノン神殿にあった巨大なアテネ像、デルポイのアポロ神殿の庭にある三匹の蛇の形状をしたペルシャ戦勝記念碑、現在はヴェネツィアにある4頭の青銅馬など、数多くの造形物がこの都市の栄光を飾った。
しかし、この都市を取り囲んでいる素晴らしい城壁がなければ、コンスタンティノープルの栄光も持続できなかった。ローマ建築の神髄とされる3重の城壁は、大砲が発明されるまでは誰も侵犯できない鉄壁だった。イスタンブールの神秘的な魅力の一つである幻想的なコバルト色の海は、深い水深と岩礁で都市を保護した。東ローマ帝国の軍隊は、非常に専門的で素晴らしい組織だった。
城壁と軍隊の保護の下で、都市は貿易で多大な収入を上げた。ところが、不思議なことに、毎日のように城壁と海を見ながらも、街の人々は国防意識が薄くなり始めた。頭では国防の重要性を忘れていなかっただろうが、国防に入るお金を惜しみ、軍務を面倒くさく嫌がり始めた。
富が溢れたので、外敵の侵入が止まない都市だった。後は四方が敵だった。それでも危機克服の努力はますます弱くなって、自分ではなく、他人の力に依存しようとする。それでも千年を持ちこたえたので、素晴らしいといえるだろうが、千年以上も持つことができたと言わざるを得ない。私たちは、経済復興を遂げてから半世紀しか経っていないのに、千年王国の雰囲気に似てきている。