「ごきげんよう、ディエゴ…」
「サッカー天才」リオネル・メッシ(33=バルセロナ)が先月25日、心臓麻痺で死去した「サッカー英雄」ディエゴ・マラドーナ氏のためにイエローカードを甘受しながら哀悼を意を表すパフォーマスを披露した。
メッシは先月29日、スペインの・バルセロナのカンプ・ノウで行われたリーグ戦第11節オサスナ戦で3-0でリードした後半28分に4点目のゴールを決めた。チームメイトたちと集まって喜びを分かち合ったメッシは、やがて一人で歩いてはバルセロナのシャツを脱いだ。メッシは、下に着ていたもう一枚のシャツ姿で自分の手に口づけをした後、両手を空に向けて伸ばした。あの世にいるマラドーナ氏を哀悼するジェスチャーだった。ゴールセレブレーションでシャツを脱げば警告を受けることを知っていたが、気にしなかった。
自身の背番号と同じ10番が付けられたシャツは、アルゼンチン1部ニューウェルズ・オールドボーイズのユニフォームだった。メッシは1994年に同クラブの下部組織に入団し、本格的な選手生活を始めた。またマラドーナ氏が現役時代の後半を過ごしたクラブでもある。マラドーナ氏は全盛期をイタリアやスペインなどで過ごし、1993年から1994年まではニューウェルズ所属で活躍した。メッシはユース時代に戻ってマラドーナ氏と一緒にプレーしたい気持ち込めてニューウェルズのシャツを下に着ていた。メッシは2000年までニューウェルズの下部組織で実力を磨いた後、2000年にバルセロナへ移籍した。
マラドーナ氏が1982年から1984年まで所属していたバルセロナの選手たちは、この日、試合開始前にグラウンドの中央で10番のユニフォームを囲んで黙とうした。メッシは、試合後にソーシャルメディア(SNS)に、ニューウェルズのユニフォームを着ている自分の写真と、過去マラドーナ氏の写真とを並べて、短い言葉を書き込んだ。
時代は異なるが、アルゼンチンが産んだ二人の天才の縁には格別なものがある。生前にメッシと同じ10番をつけていたマラドーナ氏は左足利きに才能まで瓜二つのメッシを、自分の「アバター」に挙げるのに躊躇わなかった。メッシも、「第二のマラドーナ」と呼ばれることを光栄に思っていた。2010年の南アフリカ・ワールドカップ(W杯)ではアルゼンチン代表監督と選手として共闘した。メッシは、全盛期の時もマラドーナと比較される度に、「僕が数百年プレーしても彼の近くにも行けないだろう」と言い、マラドーナ氏への畏敬の念を示した。メッシは代表戦142試合で71ゴールを記録している。マラドーナ氏(91試合34ゴール)より多くの試合に出場し、より多くの得点を挙げている。だが、マラドーナ氏が1986年メキシコW杯で祖国に優勝をもたらしたのに対し、メッシはW杯に4度出場したが無冠に終わった。
兪載泳 elegant@donga.com