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リーダーの最も恐ろしい敵

Posted December. 08, 2020 09:01,   

Updated December. 08, 2020 09:01

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1812年6月24日、とある目撃者の話によると、かつて見たことのない輝かしい軍隊が行進を始めた。ナポレオンが指揮するロシア侵攻軍だった。兵力は少なくとも30万人。フランスだけでなくナポレオンの統制下にあった欧州諸国から徴集した欧州連合軍だった。

輝かしい軍隊は、無残にもロシアの地で没落する。20万人以上が死んだ。ナポレオンは、リトアニアのヴィリニュスに到着すると、軍旗をすべて燃やし、少数の護衛兵とともにパリに先に逃走した。名分はパリで発生しかねないクーデターを防止するためだった。彼が出発するや否や気温が急降下し、残留した兵士たちはなすすべもなく凍え死んだ。ナポレオンの完全な没落までは3年が残っているが、歴史家たちは、ナポレオンの運命はロシア遠征の失敗によって決まったと言う。

「気をつけなさい。ロシアの土地は、あなたの軍を飲み込みますよ」。ロシア人は常に、彼らの最高の武器はロシアの広大さ、それ自体だと言っていた。これに暑さと寒さが重なり、大多数が農民であるロシア人たちは、自分の国と地を守ることには異常な献身と団結力を発揮したりした。

ナポレオンがこのような要素を知らなかったはずがない。ところで、なぜこのような危険な遠征に踏み切ったのだろうか。ナポレオンが成し遂げた帝国はまだ不完全だった。そして、彼は、征服した国々の忠誠心が足りない理由として、英国とロシアの存在を挙げた 両国が存在し、衝動に駆られ続ける以上、自分の帝国は不穏な反心を止めないだろうと判断した。

その判断までは正しかったとしても、ナポレオンが戦争で問題を解決しようとしたのが間違いだった。当時の軍事力でのロシア征服は無理だったからだ。ナポレオンもそのことを知っており、その内面の恐怖が繰り返されたミスを誘発し、被害を数倍に増やした。

効果のない方法だが、偉大な独裁者はその解決策に拘った。権力は自ら自分を疎外させる。そして、自分が成功した方法で、自分を破滅させる。リーダーにとって一番怖いのは自分の権力だ。