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私一人花咲く

Posted December. 12, 2020 08:43,   

Updated December. 12, 2020 08:43

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カウンセリング時間にある生徒が、「先生!どこも行けず、何もできない。今私は何を準備すべきですか」と尋ねた。「幼い生徒は、何の過ちもないのに様々な権利を奪われた。そのうえ準備する権利まで奪われた。きれいな瞳の前で時代のせいにするのは卑怯だから、何の返事もできなかった。生徒を送って、帰ってから、詩の中から答えを探す。簡単に恥じたことが恥ずかしく、質問を忘れることができない。

どの詩人もポストコロナを経験していない。どの詩人も未来から来ていない。それゆえ何も正解ではないだろうが、返事を探すことを止まることはできない。どこにもないが、探し続ける努力を私たちは「希望」と呼ぶ。私たちの一日は、待って希望する姿勢と待たずに絶望する態度の間にある。皆毎日絶望を感じるが、結局は希望の方を選択して明日を待つ。

希望することすら困難な人々と応援歌を分かち合いたい。応援歌は、ない勝利があると信じるりりしい歌。歌えば歌うほど力が湧く歌。そのような応援歌として、詩人チョ・ドンファ氏の「私一人花咲く」を詠んでみる。詩人は言う。私は一人だが、実は魂は一人ではない。私の希望とあなたの希望が集まって、草むらを花畑にすることもできる。私の心とあなたの心が会えば、すべての山が燃え上がることができる。私たちはいつかまた会って、花畑を共に作るだろう。あまりにも遠い希望だと言うのは止めよう。応援歌は私たちのチームが負けている時、一層大きな声で歌わなければならない歌だ。

文学評論家