新型コロナで彩られた2020年は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの生誕250周年でした。2021年は誰を記念する年になるでしょうか。これまできちんと理解できなかったと思われる作曲家を呼び出したいと思います。2021年で死去100周年を迎えたフランスのシャルル・カミーユ・サン・サーンス(1835〜1921)です。
サン・サーンスの名前を知っている方はたくさんいます。子供の頃、子供の日に両親と手を取って音楽会に行き、彼の「動物の謝肉祭」を聞いた方が多いと思います。もちろん、面白い作品です。しかし、サン・サーンスはこの曲を真剣に書いたのではなく、一種のいたずらのように、気分転換に作曲したのです。さらに、生前に楽譜の出版も阻止しました。
しかし、この曲を通じて、サン・サーンスがよく分かるようになった点もあります。サン・サーンス自身はそれほど大きな価値を置かなかったものの、このような音楽を書いたことは、一種の時代精神の反映でした。サン・サーンスが生きた19世紀後半は博物誌の時代、百科事典的知識の時代でした。ある大陸に行けば、ある動物と植物と鉱物があり、風習はどうだなど、遠い所に対する新しい知識が爆発した時代でした。動物の謝肉祭にも、そんな博物誌的な姿が入っています。
サン・サーンスは天才でした。「5歳の時に作曲を始め、12歳の時からコンサートピアニストとして活動したのですが、聴衆がアンコールを要請すれば、聴衆が望むベートーベンのピアノソナタ1曲をすべて弾いたそうです。彼は「わたしにとって作曲することは、リンゴの木にリンゴがなるようなもののような気がする」とも言っていました。
彼には格別な趣味がありました。最新の望遠鏡を備えておいて、夜空を観察することを楽しみました。アマチュアのレベルを超えるものでした。フランス国立天文学会は、サン・サーンスを会員として受け入れました。彼の宇宙的想像力は、サン・サーンスの交響曲第3番「オルガン」を聴くと感じることができます。
夜空や宇宙と共に、サン・サーンスのもう一つの関心事はアラブでした。アラブに関する本をよく読み、何度もエジプトをはじめアラブ世界を旅しました。心臓麻痺でこの世を去る時も、アルジェリアを旅行中でした。サン・サーンスのアラブ愛は、オペラ「サムソンとデリラ」、ピアノ協奏曲第5番「エジプト」などに反映されました。
このように、天文学やアラブをはじめとする異世界への関心を考えるとき、サン・サーンスは空想小説家・ジュール・ヴェルヌ(1828〜1905)と同じ時代の雰囲気を作品で表現したと考えられます。サン・サーンスとヴェルヌが、お互いについてよく知っていたかは分かりません。ヴェルヌはサン・サーンスよりわずか五歳年上で、天体や海底といった新しい世界の探検、中東やシベリアを背景に繰り広げられる冒険、さらには八十日もすれば世界一周ができるという、当時としては興奮する空想を繰り広げました。
「19世紀から20世紀に入った時代は、科学と技術が爆発的に発展し、知識が大きく拡張し、人類がすべての障壁を越えて進歩を遂げることができると信じた楽観主義の時代でした。ロンドンとパリで開かれた万国博覧会は、そのような楽観主義の象徴でもありました。サン・サーンスの交響曲第3番が世に出た翌年に建て始めたエッフェル塔もまた、そのような時代精神の反映でした。そんな進歩と楽観主義の時代精神、未知の世界に対する探求をサン・サーンスの作品から感じることができます。ユーチューブチャンネルの「ユ(ユンジョン)チューブ」で、サン・サーンスの代表作品をプレビューで聞くことができます。
ユ・ユンジョン記者 gustav@donga.com