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信念と独創性の画家

Posted December. 24, 2020 08:11,   

Updated December. 24, 2020 08:11

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一人だけ「違う」を叫ぶことができる勇気。エル・グレコはそのような勇気を持つ人だった。グレコが否定したのは他でもないルネサンス美術の巨匠ミケランジェロだった。皆が天才と称賛した巨匠をグレコは「人は良いが、絵をどう描くのか分からなかった人だ」と言って無視した。自らをミケランジェロより優れていると信じたこの画家は、その後どうなったのか。

ギリシャの画家、エル・グレコがローマに来た時、ミケランジェロとラファエロはすでに死んでいたが、彼らの影響力は絶対的だった。若い画家は巨匠の芸術を踏襲するだけだった。自分だけの独創的なスタイルを追求したグレコは不満だった。グレコは法王にミケランジェロがシスティーナ礼拝堂に描いた「最後の審判」の上に自分がもっと良い壁画を描くと提案し、人々の怒りを買った。公共の敵になり、逃げるようにローマを離れることになった。

1577年、スペイン・トレドに移り住んだグレコは、そこで37年間暮らし、多くの傑作を誕生させた。この絵は、グレコの生涯最後の作品で、教会の家族墓碑を飾るために描かれた。イエスの誕生は多くの画家が描いたテーマだが、グレコの絵は巨匠たちのものとは違った。狭くて暗い洞窟の中、赤ん坊のイエスがマリアの膝を覆った白い布の上に横たわっている。光を放つイエスをヨセフと3人の牧童、牡牛が取り囲んで敬拝し、空には天使が祝っている。圧巻は、ひどくくねった体だ。印象美と比例美を強調したルネサンスの絵とは違って、奇怪に下がった体は13頭身ほどにみえる。強烈な色彩、躍動的な構図、ひどくくねった体の表現、光と闇の強い対比など、グレコの絵の特徴を示す。

16世紀の人々にこのような宗教画は見慣れず、不穏なものだった。しかし、グレコの芸術的信念と独創性は、20世紀の立体派美術に大きな影響を与えた。ミケランジェロより成功することはできなかったが、規範を破ろうとしたグレコの芸術は400年先を行っていた。