仙人が遊んでから、黄鶴に乗って旅立ったという黄鶴楼。仙人は跡形もなく、楼閣だけがぽつんと残っている。あの空のどこかをかき乱したはずの黄鶴の羽ばたきさえ、長い歳月、何気ない雲の中に流れるだけだ。世事など虚しいという空虚感にぼうっとしている間に、楼閣の向こうに華やかで豊かな風景が詩人の視野に入る。日差しに照らされながら、都城の森の頭が川の水に揺れ、三角州の春草が生い茂っている。しかし時間が徐々に流れて日暮れに向かうにつれ、旅人の足も忙しくなったはずだ。川の上にゆらゆらと立ち昇る水煙とともに、郷愁がもやもや立ち込めている。
黄鶴楼は3世紀初頭、呉国の孫権が初めて建設したといわれているが、歴史上の多くの詩人たちが足跡を残した。李白がここで崔浩の詩を読んで、感嘆を禁じ得なかったというエピソードが特に有名だ。若い頃から各地を遊覧して詩を残していた李白が、黄鶴楼を訪れ、ちょうど詩興をそそろうとした瞬間、頭上に崔浩の「黄鶴楼」が目に入った。諸行無常の虚無とノスタルジアが絶妙に調和した絶唱に、この大詩人まで詩想が揺れたのか。李白は、「目の前に景色を置いても言葉では表現できないが、崔浩が詠んだ歌がすぐ上にあるからだ」という詩句を残して筆を置いたという。
成均館(ソンギュングァン)大学名誉教授