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岩に刺さった矢

Posted March. 12, 2021 07:41,   

Updated March. 12, 2021 07:41

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李広という漢朝に活躍した武将がいた。中原の地を狙っていた北方の匈奴族が、飛将軍と呼んで恐れていた勇将だった。司馬遷の「史記」に記録されたエピソードだ。「李広が狩りに出て、草むらの岩を見て虎だと思い弓を射た。矢が石に的中して突き刺さった。よく見ると石だった。もう一度射たら、岩に刺さらなかった」。歴史家が淡々と将軍の弓術と威力を記述したのに対し、詩人はその英雄的威勢を表すために、劇的効果を最大限生かそうと苦心した。

草むらが風にそよぐ場面を「驚き」で表現したのだから、将軍も読者もぞっとする感じがもっと強かっただろう。矢じりの行方をその場で問わず、翌日未明になって明らかにしたことは、迫力を増す巧妙な按配と見られる。矢じりが岩の中央ではなく角に刺さったというのもまた、将軍の神妙な弓術を浮き彫りにしようという狙いではないかと思われる。将軍が試しに再び弓を引いた部分をあえて省略してしまったのは、その威信に配慮したためかも知れない。歴史を変容する詩人の慇懃で含蓄的な腕前は、だからこそさらに曲盡している。文学的形状化が、どのように史実の記録と区別されるかを推し量る事例だと言える。

盧綸の「塞下曲」は、全部で6首からなる連作詩。塞とは、国境地帯の辺境を意味する。李白など多くの詩人が、物寂しい辺境の風景、兵士の生活や郷愁を歌いながら「塞下曲」「塞上曲」「従軍行」などで詩題を決めたが、そのテーマや雰囲気が似通っている。