Go to contents

ある徴兵忌避者の人生

Posted March. 16, 2021 08:08,   

Updated March. 16, 2021 08:08

한국어

1913年、オーストリアの首都ウィーン、公営寄宿舎で暮らすある青年が、慌てて荷物をまとめて宿舎を出た。彼が宿舎を出た理由は徴兵忌避だった。オーストリアでは21歳になると徴兵の対象になり申告しなければならないが、これを忌避したのだ。彼の本籍地リンツ市では、この青年を徴兵忌避者として行方を捜した。

この時、青年は故国を離れ、ドイツ・ミュンヘンで暮らしていた。外国にいると安心したが、当局は、外国で仕事もなく酒場で絵葉書を売って細々と暮らすこの青年の居住地を突き止めた。ミュンヘン警察に協力を要請し、警官が来て彼を逮捕した。

この徴兵忌避者がアドルフ・ヒットラーだ。もし、この時ヒットラーがオーストリアに送還され、オーストリア軍に入隊したなら、私達が知るナチスの党首ヒットラーは存在しなかったかもしれない。しかし領事館がこの青年を哀れに思ったようだ。本国への送還を保留し、ドイツの法廷で裁判を受けるよう情けをかけた。友好国ではあるものの、ドイツはオーストリアの国防力強化に切実ではなかったため、法廷は貧しく体が弱く、兵役を遂行できないというヒットラーの弁明を聞き入れた。

1914年に第1次世界大戦が勃発すると、ヒットラーはドイツ軍に志願入隊する。徴兵忌避者がそれも他国の戦争に参加するということは話にならないことだが、何を考えたのか、彼は入隊を志願し、通過した。彼の運は続く。第1次世界大戦は途方もない殺戮戦だった。開戦初期に最前線に投入された兵士が、生きて帰ってくることは容易ではないことだった。ヒットラーが最初に配属された連帯も、すぐに連隊長を含め3分の2が失われた。しかし彼は最後まで生き残り、鉄十字章まで授与された。

外国人で、中卒で、何の社会的経歴もなかったヒットラーが大衆煽動家から政治指導者に成長するうえで唯一後押しになった経歴が、まさにこの参戦の経歴だった。ヒットラーが徴兵免除と外国人特権に満足したなら、歴史はどのように変わっただろうか。人生はアイロニーであるとは、そのとおりのようだ。