「死は誰にでも迫ってきます。いつか死ぬということは確実ですが、『約束』とはいったい何でしょう」
40歳になったばかりの頃に乳がんの多発性転移で余命宣告を受けた哲学者の宮野真生子さんは、放射線治療で体が弱っていくのを感じながらも本を書くことを決めたことが無責任な行動ではなかったのかと自問する。明日の約束も守ることができるのか不透明な状況で本を書くという長期的な約束に何の意味があるのかということだ。それでも彼女は、「自分の人生に果たして完全に責任を負うことができる人がいるのだろうか」という省察を通じて、死の前でも自分で生きていかなければならないという結論を下す。
死が迫った哲学者が闘病の話を打ち明けた相手は人類学者の磯野真穂さん。余命宣告を受けて予定された講演をキャンセルしようとした宮野さんに、講演の主催者である磯野さんは「もしかしたら元気な私があなたより先に交通事故で死ぬことになるかもしれない」と言って引き止め、これをきっかけに2人は手紙のやりとりを行う。2人の20通の手紙がこの本に収められた。2人は人間に訪れる出会いと病気、避けることのできない別れと死、死という定められた運命の前でも立ち止まれない人間の生への悩みを分かち合う。
本は余命宣告を受けたがん患者に対して社会が持つ先入観、それによって患者という限定されたアイデンティティの前で苦しむ人々の悩みを盛り込んだ。生と死、健康と病気、保護者と患者といった二分法の思考方式によって一人の人間が作ってきた人生が一瞬にして「患者の人生」に変わってしまう残念な現実に光を当てる。宮野さんは病気になった人のアイデンティティが「患者」と固定される瞬間、その人の前にあった多くの人生の機会と可能性が消えてしまうと指摘する。
余命宣告を受けた後も多くの講演と行事に参加し、2冊の本を書いた宮野さんは、この本の序文を書いた数時間後に意識を失ったという。そして半月後、生涯を終える。著者の生涯最後の記録に、人間が最後まで自分で生きていく道を伺うことができる。
金哉希 jetti@donga.com