東京五輪が成功裏に開催された2年後の1966年、日本の主要都市で映画『陸軍中野学校』が上映され、大きな反響を呼んだ。五輪と高度経済成長で自負心が高まっていた当時、ベールに包まれていたこの学校が日本社会に登場した。中野学校の卒業生をスーパーマンのように見るムードも生まれた。
中野学校は38~45年にわたって、第2次世界大戦で活動した諜報員や特攻隊員など「影の戦士」を秘密裏に訓練した学校だ。所在地の中野区から名前がつけられた。45年の終戦まで、この学校は約2300人の諜報員を輩出したが、彼らは卒業して米国、欧州、中国、インドなどに派遣された。敗戦が迫った時は戦闘任務を遂行し、日本列島を防衛する特殊戦やゲリラ戦を行った。
45年に日本は降伏したが、多くの影の戦士たちは戦争を継続した。米国の情報機関は冷戦を迎え、中野学校の卒業生に注目した。米国の日本占領や韓国戦争で、彼らは米軍のために服務した。しかし、多様な戦時の活動にもかかわらず、彼らは依然としてベールに包まれていた。大衆にある程度知られた卒業生は小野田寛郎。彼は、太平洋戦争末にフィリピンに派遣された遊撃隊員であり、諜報員だった。彼は「最後まで生き残れ」という司令官の最後の命令を守り、フィリピンのジャングルに29年間隠れ、地域の巡察隊とゲリラ戦を展開した。小野田は、捜索の末、30年前の上官の命令解除で、やっと銃を下ろした。
中野学校の卒業生は、米戦略諜報局(OSS)、英国特殊作戦執行部(SOE)と比べられたりもする。戦争史に関心がある読者なら、第2次世界大戦当時の情報戦をめぐる秘められた内容を扱った同書は興味深いだろう。
キム・テオン記者 beborn@donga.com