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急ぐな、私の光よ

Posted April. 12, 2021 08:16,   

Updated April. 12, 2021 08:16

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決して急ぐな/急ぐな、私の光よ/ああ、人生よ(キム・スヨン「春夜」)

 

今朝、娘がしきりに見るように指をさして急かせた。子どもとは違って、私は余裕がなかった。横断歩道の信号が青に変わるところだったからだ。子どもの手は、あんず花に向かっていた。花の木も信号灯のように光を放とうとしていた。まだ見事というわけではなかったが、1つ2つ色づき始め、これから訪れる暖かい日々の伝令のようで、春が来たように思われた。

春が来た。季節は、回りまわって再び私たちの前に訪れる。黄砂を突き抜け、微細粉塵を退け、さらに新型コロナウイルスという奇異な禍でも、春はすべきことをする。地面を溶かして花を咲かせ、子どもたちを再び学校に行かせる。あんず花の鑑賞は短かった。

今春から子どもの登校を担当することになった。勤めていた会社を辞めたからだ。9時まで到着しなければならないオフィスはないので、9時までに町内の小学校の校門に行けることになった。10分もかからない短い時間、子どもはおしゃべりが多い。その声を聞いていると、不安と焦燥は春の光の雪のように濃い灰色の痕跡だけを残して、溶けてなくなる。そして、校門を通過した子どもの後ろ姿を見て考える。

出版社を始める。まだ本はないが、事業者登録し、口座を開設し、取引先の関係者に会うことは始まった。今春の歩幅に合わせて始めたと言ってよい。キム・スヨンの詩で「春夜」が最も好きだ。特に、光に急ぐなと一喝する大胆さがいい。詩人の意図ではなかっただろうが、今、私にあの詩は一種の自己啓発書のように感じられる。良い春の日だ。良い開始になってほしい。しかし、あまり急がない。しばらく立ち止まって、あんずの花を見る瞬間、春は私たちのそばに存在するのだから。