「私は自由な女になったようだ。鳥のように何の計画もなく、鳥のように幸せで、鳥のようにきれいで、翼がある。」手紙にこのように書いたのは、20代半ばの女性だった。彼女は、全てのものから自由になりたかった。人や社会からも自由になりたかった。若い彼女が十分に言える言葉だった。
その手紙を受け取った40代半ばの男性はこのように言った。「鳥は巣を作り、家族を養い、家族の幸福に責任を負う。あなたはその程度まで進んだのか。」人間の目には青空を飛ぶ鳥が自由に見えるかも知れないが、鳥はその自由を利用して巣を作り、卵を産み孵化させ、子が自分で飛べるようになるまでエサを与える責任を全うするが、あなたはそのような責任を負っているのかということだ。そうでないなら「鳥のように自由だ」という表現は多少無責任というのだ。世の中に対する何の責任感もなく、「現在の刺激を満たすために」自由を活用するのは無責任だということだ。何のための自由なのか深く考えてみなければならないという忠告だった。
彼女を愛する男性は、穏やかな口調で説得し、彼女は穏やかさの下に敷かれた深い真理に説得された。彼の言葉どおり、人間は2次元の世界を生きる鳥とは違って、「3次元、4次元、5次元あるいはそれ以上の次元」を生きる存在だ。それなら他人の傷や苦しみ、奴隷状態をなくすことにもっと大きな責任を感じて生きなければならない。彼は、その時まで、そのような生活を送り、その後もそうした。彼は、ペンシルバニア大学教授の職を若くして解雇された後、田舎で暮らし、講演や執筆、有機農業を通じて社会的弱者に貢献する生活を送った。彼女は彼と結婚して暮らしながら、自由の真の意味を知った。そして、男性が亡くなった後、彼との暮らしを感動的な記録に残した。女性の名前はヘレン・ニーリング、男性の名前はスコット・ニーリングだった。