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李海仁修道女「鄭鎮石枢機卿は人々を慰めるカスミソウ」

李海仁修道女「鄭鎮石枢機卿は人々を慰めるカスミソウ」

Posted April. 30, 2021 08:13,   

Updated April. 30, 2021 08:13

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「金寿煥(キム・スファン)枢機卿がバラの花なら、鄭鎭奭(チョン・ジンソク)枢機卿はカスミソウのような存在でした」。

詩人で修道者の李海仁(イ・ヘイン)修道女(76)は29日、東亜(トンア)日報との電話インタビューで、鄭鎭奭(チョン・ジンソク)枢機卿の死去を哀悼しながら、このように喩えた。

李修道女と鄭枢機卿の縁は2006年にさかのぼる。当時、鄭枢機卿の着座行事に使う曲の歌詞を依頼されたのだ。李修道女は、「音楽を担当した神父からのお願いで、枢機卿のための歌詞を作った。鄭枢機卿から『素晴らしい歌詞を書いてもらい、行事に出席するために釜山(プサン)から遠くまで来てくれてありがとう』という挨拶をいただいた」と伝えた。

その後、個人的に会う機会はなかったが、鄭枢機卿の様々な本を通じて、神学的な問いについての刺激を受けることができたという。「鄭枢機卿は生命倫理を守り、教会が貧しい人々を積極的に助けることができるよう努力した。詩人の立場から見て、枢機卿が聖職者として忙しい中でも、毎年本を出版して51冊の著書を出しているということに驚かされる。聖職者であり学者として、つかの間の時間も怠らなかったという証拠ではないか」。

氏は東亜日報に掲載された鄭枢機卿の母親への愛と、代を継いだ眼球寄贈にまつわるエピソードを扱ったホ・ヨンヨプ神父の追悼文(29日付のA10面)に感動を受けたとし、「韓国戦争中、3回も死の危機を乗り越え、一人息子という負担の中でももっと大きな愛を選んだ若い時代の枢機卿の苦悩を感じることができた」と語った。

李修道女は、2018年、延命治療を拒否した鄭枢機卿の決定は、修道院内でも大きな話題となったと伝えた。「『今日は私の番、明日はあなたの番』という言葉もあるのではないか。修道院に年配の修道者が多いので、他人事ではない。枢機卿の死去を見守りながら、延命治療を拒否すると誓約したり、美しく人生を終えようという誓いが多い」。

李修道女は、2009年に死去した金寿煥枢機卿との縁も思い出した。がん治療のためにソウル聖母病院に入院して、抗がんと放射線治療を受ける大変な時期だった。ちょうど金枢機卿も病室にいて、「入院同期」「患友」だと言ったという。「ある日は辛くて、お祈りをお願いしたら、あまりにも長くなるんです。それで、なぜこんなに長いのかと聞くと、『文章をうまく書く修道女だから、神様に特別によく見てほしいとお願いしました』と言いながら笑ったんです」。

李修道女は、「カトリック教会の立場では、金枢機卿は父、鄭枢機卿は母のような存在だという言葉に共感する」と語った。詩人は、両枢機卿の人生を花にたとえたりもした。「金枢機卿がユーモアを備えたカリスマのバラの花だとすれば、鄭枢機卿は人々に余裕と癒しを与えるかすかなかすみ草のようだ」ということだ。

氏は、「教会の年長者が順に亡くなり、残念だ」とし、「新型コロナウイルス感染症(新型コロナ)で直接弔問はできないが、修道院内の小山を回りながら黙想で鄭枢機卿を哀悼している」と話した。

一方、李修道女は1990年代半ば、ピアニストの申秀貞(シン・スジョン)ソウル大学名誉教授の紹介で知り合った俳優の尹汝貞(ユン・ヨジョン)氏との縁も紹介した。「ソウルに行けば、申教授の自宅で食事会を開いたが、母親がカトリック信者である尹汝貞氏に『ユリアナ』という洗礼名を勧め、信仰を持てとねだったりしました。アカデミー助演女優賞の受賞後は『洗礼を受けるよう、当分の間はせがまない。これまでお疲れ様、思う存分堂々と楽しんでください」というメールを送りました。忙しいのかまだ返事はないですね」


金甲植 dunanworld@donga.com