世の中で起こっていることには、すべて理由がある。その背後を探ってみると、長い歴史のルーツがある。あるものは何千年もさかのぼる。そのようなことを見ると、あっけに取られることもあり、時々怖くもなる。
エジプトから南に下ると、スーダンに行き当たる。古代エジプト時代にはここをヌビアと呼んだ。エジプトの遺物にヌビア人がよく登場する。ファラオがヌビア人を征服する壁画もあり、首にロープをかけて捕虜になったり、供物を運送するヌビア人もいる。ヌビア人のファラオ像もある。ヌビア人は荒っぽい戦闘民族だった。エジプトはヌビア人を傭兵として雇ったが、一時エジプトを征服したこともあった。その後も長い間、ヌビアはエジプトとギクシャクした関係を維持するが、たいていはエジプトがヌビアを属国のように支配する形だった。
4000年が過ぎた1948年の第1次中東戦争、エジプト軍はイスラエルから恥ずべき敗戦を経験する。エジプト軍が見事に勝利した戦闘もあった。アシュケロンの東側のアルファルジャという小さな村で、エジプト軍の3つの大隊がイスラエル軍に包囲された。完全に包囲された状態で、終戦までエジプト軍は持ちこたえる。この戦闘で最もよく戦った部隊は、スーダンの大隊だった。最高英雄は、「黒い狼」と呼ばれたスーダンのサイード・タハ大佐だった。しかし、終戦後に英雄になったのは、エジプト人のガマール・アブドゥル=ナーセル少佐だった。ナーセルは、この時の人気でエジプト国民に大きな印象を残し、1953年クーデター成功後、終身大統領になる。
ナーセルは有能な将校で、ファルージャの戦いで見事に戦った。しかし、タハ大佐は、より大きな功績を立てても、それほどの英雄にはなれなかった。ナーセルは人気を高めるため、ファルージャの戦いの経験談を詳細に記したが、タハ大佐の活躍はほとんど記さなかった。タハは有能な軍人で、エジプト人が期待する英雄は、国を泥沼から救うことのできる人だった。軍事的英雄は戦場で誕生するが、国の英雄は国民が選択する。たまにその基準が、感情と幻想の中から誕生するのが問題だが。