体がつらい時はゆっくり休まなければならない。でも心が苦しいとき、休むだけが能ではない。慌しいとき、悲しいとき、怒りが込み上げるときは、むしろ歩かなければならない。逆に言えば、夢中で歩いている時、感情は少し和らぐ。足早に集中して苦しみを忘れようとするのは賢明な選択だ。
このような時に出くわす横断歩道と信号は、決して得ではない。それらは無理やりに私たちの足を引っ張る。足がつかまれば心もつかまるもの、苦しさは今だと思って戻ってくる。横断歩道の前で、ようやく堪えていた涙があふれ、やっと止まったように思えたことも堰を切ったように思い出されるだろう。
こうした経験を持つ人にとって、詩人コ・ドゥヒョンの「横断歩道」は見過ごすわけにはいかない詩だ。この作品は足を止めた時、心が無茶苦茶にこぼれたある日を私たちに返す。やるせなく悲しみに敗れた結果、倒れそうに立っている我々がこの詩の中にいる。心臓を他の所に置いてきたように、胸がからっぽになった私たちがこの詩の中にいる。
詩人の場合は、大切な誰かを残して遠ざかっている。横断歩道を渡ると、もう一段階遠くなる気がする。それでここは、超えたくない気持ちと離れなければならない気持ちが戦う激戦地だ。それで横断歩道の白帯のように横になりたいと詩人は書いた。恐らく彼は帰れなかったのだろう。青信号が点いた時、道を渡ったはずだ。それでも分かる。詩人の魂はその日、その横断歩道、そのアスファルトの上に残されているだろう。私たちもそうだったから、この横断歩道を知らないはずがない。